日本建築家協会(JIA)は建築家が集う公益社団法人です。
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審査委員講評
JIA優秀建築選2022には228作品の応募があった。審査委員会としては先ず書類審査によって100作品を選定し、さらに現地審査対象として7作品を選定させていただいた。 この中で4月27日の最終公開審査に残った作品は「全薬工業株式会社 研究開発センター」「八戸市美術館」「大阪中之島美術館」「Entô」(以上応募順)の4作品である。これらの作品は、いずれも非常に完成度が高く魅力的なもので、優秀建築賞としては全審査委員、まったく異論が無かった。 しかし大賞については委員によって意見が分かれ、公開審査当日、真剣な議論が交わされた。その結果、同時期に完成し、まったく異なるコンセプトで注目された2つの美術館、「八戸市美術館」と「大阪中之島美術館」に、JIA日本建築大賞2022が授与されることとなった。 以下、2022年の日本建築大賞・優秀建築賞受賞各作品について、所感を述べさせていただきたい。 日本建築大賞 ・八戸市美術館 この作品は今までの美術館のイメージを大きく変えるものであった。設計者が「ラーニング・センター」と呼ぶように、この美術館は八戸市のこれまでの文化芸術活動をベースに、これからの市民の活動の拠点となる“広場”としての建築である。計画のコンセプトもプロポーザルでの設計者の提案によるもので、八戸市民の多様な活動への大きな期待が込められている。長い時間が経過した将来、この美術館を改めて訪れてみたい。 ・大阪中之島美術館 長い構想の年月を経て設計コンペが実施され完成した美術館で、堂島川に面した黒いボックスが、都市の新しいランドマークとなった。強く印象に残ったのは、展示室への観客を巧みに導く、パッサージュと呼ばれる自然光が入る吹き抜けの立体空間である。また敷地の環境に応じて、1、2階を都市に開き、3階以上の展示空間をキュービックな箱の中に納めた設計も見事で、中之島をさらに活性化し、大阪市の未来に貢献することを期待したい。 優秀建築賞 ・全薬工業株式会社 研究開発センター 企業の研究所というと、どうしても閉じられた固い建築をイメージしてしまうが、この作品は敷地周辺のランドスケープと一体化し、ラボとオフィスが巧みに合体した、極めて質の高い建築である。また研究所としての性能を確保しつつ、バックスペースや付帯設備にもデザインの完璧さを目指す設計者のこだわりを強く感じた。地域に開かれた研究所として、多摩ニュータウン地区の環境の向上にも大きく寄与していくことであろう。 ・Entô 島根県隠岐の島で、官民連携の町おこしで注目を浴びる海士町がクライアントのホテルである。隠岐の島はユネスコのジオパークにも認定された自然豊かな島で、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が配流された特別な歴史を持ち、このホテルもそうした島の観光の未来に向けて重要な位置を占める。 ホテルは既存の古い宿泊施設の半分を建て替えたもので、CLTの構造体による大きなガラス開口のデザインが特徴的な、斬新で魅力ある建築であった。
JIA建築賞の意味は、建築としての完成度が極めて高いという作品性だけではなく、人々の生活空間としての都市の未来に如何に貢献できるか、という視点から捉えることも重要であろう。日本建築大賞2022の審査は極めて難しいものであったが、異なるコンセプトのもと、ほぼ同時期に完成した2つの都市の美術館が大賞となった。審査委員の一人として当日の議論を記憶に留め、今後の姿を見守っていきたい。 最後に、現地審査対象作品の一つ「星野神社覆殿・本殿」は、伝統構法による木造建築における現代の建築家の貢献として、大きな魅力と可能性を感じた。建築における新築と保存というジャンルの垣根がなくなり、さらに、日本の伝統建築と近現代建築を同じ土俵で議論できる時代が来ることを祈りつつ、審査報告を終えたい。
2つの美術館が日本建築大賞に選定された。昨年に引き続き美術館が選ばれたが美術館が有利というわけでは全くない。審査員の間では2作品とも優劣つけ難い建築作品であった。特に審査における評価基準があるわけでもない。 評価基準は時代が要請するのかもしれない。現代の環境、パンデミック、自然災害など不安材料は建築へもその影響が浸透してくる。しかしヴィトルヴィウスの三原則「強用美」の原則は揺らいではいない。今「用」は建築のニーズに重きが置かれ社会が求めている。加えて電子化の急激な進化で建築そのものが複合化し変容している。「強」に関してはコンピュータアシストで、人の命を守る構造も自在となる時代である。空間獲得のチャレンジもそれ自体で「美」に繋がる作品も多く見られる。また「美」の基準はどこにあるのか。周辺との調和や環境配慮など様々な表現要素が必要となる中、結果としてのまたは意図しての「美」、これは人によって幅広く捉えられるが、美しさは間違いなく存在する。評価基準はさらにサスティナブル、リジェネレーションなどが重なり複雑だ。そのような状況下で、私の選定の軸はそういった「強用美」であると同時に建築家の情熱と努力が見事に結晶化されているかどうかに選定の焦点を置いている。今は概して歴史、地域性、まちづくりから編み出したストーリー性、シナリオ性が時代を反映している、あるいは未来を呼び込んでいるとするならばそれは多くの作品の共通ベースになっていると言える。いわゆるコンセプトとして一言では言えないものが選定外の作品にも多く見られる。そこに価値観を置いた結果、今回の大賞が二作品になったと言える。 「大阪中之島美術館」は建築家の野心と力量が随所に溢れた作品である。コンペ時際立っていたストーリーが直球でブラッシュアップ、ディティールや素材に裏付けされ、人と美術品の関係性を追及し、強靭な建築に昇華している。そして本来の正面突破の建築として建築家の意志と使命が貫かれている。一方の「八戸市美術館」はコンペ時に提案した市民によるアートファームのストーリーを実現させ八戸市の新たな文化創造が動き出したことが見てとれた。それを十分に理解させるジャイアントルームは画期的であり確実に胎動している。両者とも美術館としてのプログラムは当然のこととして建築家の付加的な提案が秀逸である。黒と白の対比的なこの二つの美術館からは甲乙つけ難い力量が溢れている。 「全薬工業株式会社 研究開発センター」は組織力にサポートされた民間建築という評価をしていたが空間を体験した際の印象はそれが覆され、敷地のもつ潜在的な力と建築の機能がシンプルに調和し、新たな研究所のプロトタイプを生み出している。研究室からオフィス空間を抜けて外部まで視線が貫かれオフィス天井のルーバーの下面が外の色を拾って美しい。「Entô」は客室は奥行きが浅く間口を広げ床から天井までフルフラットの断熱ガラスを通して海と対峙する設計は圧巻で気持が良い。島ならではのCLTやリモート構法の親自然的な提案はジオパークと呼応し、しまづくりのシンボルとして成功している。建築家のチャレンジ精神と熱意とストーリーが素直に伝わってくる。 選外になった「森の小屋」は森のなかの癒される生活空間として傑作である。テント生活から小屋に変身させ森の息吹を四季を通して堪能できそうだ。森を纏うかのように毅然と存在し何度も体験したい建築だ。「太田アートガーデン」は駅前既存の米穀商店の空き家をアート空間として再生を図っている。見どころが多く建築を再生の方向性のひとつに挑戦している。「星野神社覆殿・本殿」は歴史を温存する方法として本殿を伝統工法のボディスーツで包みさらに歴史を積み重ねようという試みがユニークである。 今回も現地視察では見えないものが見えその重要性も再確認した。写真や説明だけではわからない空間体験は必須である。
全く種別が違う。懐石料理とフルコースフレンチとインド料理とアメリカンが並んでいる状態で理性的な回答など出しようがない。よって「最も優れている作品はどれか?」という回答ではなく、「どの作品が今のJIAのメッセージとして相応しいか?」という、建築家を施主が選ぶ時のような議論となった。大賞とならなかった方々はくれぐれも「優劣で外れたのではない」とご理解願いたい。最終的には審査員一同の時代観が決めた。 八戸市美術館は運営方針の企画から空間構成に至るまで、建築家として成し得る全てをやり尽くした作品と言って良い。明らかに資金は潤沢と言い難い。一昔前であれば「もっと材料の選択はなかったのか?」と気の毒がられそうな程に質素なのである。その境遇であってこそ本領を発揮する建築家なのであろう。全ての虚飾を取り去り自らの欲を顕示せず只管課題に取り組んだ空間の強さが見てとれる。 八戸の山車に似て聳え立ち都市を睥睨しているかと思うと、酔っ払いを奨励する地域の飲屋街のように温もりがある。 この作品は美術館の定理そのものを揺さぶる作品である。 その点が現代的であると言う向きもあろうが、そこに至るまでの絡繰は一朝一夕に組めるものではない。長年の経験と人脈それを可能にした人間性の成せる技である。一歩踏み入れてから出る瞬間まで心の温まる施設である。 大阪中之島美術館は八戸市美術館と対象的な施設である。 設計競技の遥か前から美術館の要件は決まっていた。既に大阪が所有している財産の収蔵庫に近い。戦うべくは時間である。人間の寿命を超えて次世代へと作品群を守らねばならない。その重い任務に負けず都市空間を内部空間へと織り上げた力量は秀逸である。「アトリエでありながら大手事務所並みにやりきっている」との評を幾たびか耳にした。 しかしそのような偏見に囚われず審査したつもりである。 設計者の目地に対する執着は異常と言える。しかし思うのである。たとえこの目地があろうとなかろうと、この建物の本質は変わらない。 全薬工業株式会社 研究開発センターは美しい作品である。ピエール・シャローやカルロ・スカルパに時間と資金を与えればこうなったかもしれないと妄想した。階段の詳細を眺めるだけで1日が過ごせそうである。少々建築マニア向けの作品とも言える。 Entôは遠隔地という不利を逆手にとった禁じ手である。 禁じ手というのは、審査員としてどうしても「情」が働いてしまうからである。兼業を自認する職員の言葉も真実味を帯びて迫る。事実であろう。審査の日は悪天候で氷が吹きつけていた。その気候に負けず水辺に屹立し我々は守られていた。審査の場ではあまり強調されていなかったが、水辺に迫り出した基礎構造は設計者の得意とする手法である。 太田アートガーデンは地元の文化を心憎いまでに演出した名場面である。幾度も訪れたい場所である。特に中でもない外でもない不思議な空間が新鮮であった。 星野神社覆殿・本殿の被いは、純粋で美しい作品である。 最終に残らなかったのは、大賞という日本の建築界全体を映すには、ビルディングタイプとして無理があったというだけのことである。 森の小屋は内部と外部の比率が快適である。小ささを大きな建物を凌駕する力としている。 長い議論の末に大賞が2作品となってしまった。両作品とも極めて完成度が高く1つに絞ることができなかったからである。これは時代が建築家の職能の分岐点に到達していることを表しているように思う。大阪中之島美術館は伝統的な建築家の職能を全うしている。八戸市美術館は建築家 の職能の範囲を大きく広げている。
現地審査に残った7作品は規模もプログラムも違う建築であった。その中で唯一、大阪中之島美術館、八戸市美術館は同じ美術館だ。しかし、現地審査、最終審査でも議論があったようにこの2つのプロジェクトは美術館の大きく違う性質を建築表現の中に顕著に際立たせており、そしてその両方ともに大切な役割を担っていた。結果的にはどちらを大賞にするかという議論の中で田原委員長の大きな決断のもとJIA日本建築大賞史上初の2つの作品が大賞として選ばれることになった。私は正直なところ衝撃を受けた。 建築はどんなに良い案が2つあろうとも最後は1つが選ばれ、1つしか実現しない。そういう厳しさを賞にも当てはめていたからなのかもしれない。でも賞は違う。手塚審査員の賞はなるべく出した方がいいという発言も印象的であった。 田原委員長の言葉の中に全く異なる美術館が2作品出てきたこと自体が今年の傾向であり、それを象徴する意味でも両作品に賞を出すという意図を聞き、改めて賞は後々見返した時にその時代の傾向を留める建築の記録の象徴でもあるということに思い至った。一方で、様々な評価軸が増えた今、大賞を決める難しさを感じた。 文字数の関係上、最終案として印象に残った3作品について現地審査、最終プレゼンテーションの所感を述べたい。 隠岐島のEntôへの現地審査は悪天候のため日程変更を余儀なくされた経緯があったほどになかなか行きにくい場所である。ユネスコのジオパークに認定されたカルデラ湾を望むフェリーの玄関口に建つホテルはフェリーが港に着く前から客室の並ぶ姿が象徴的に見えてくる。離島ならではの輸送、工法を鑑みて緻密に練り上げられたCLTを使った特殊構造の建築。そして漁業農業を半々に職業にしているという島特有の働き方から半官半Xとして公務員が他に職業を持つ働き方を推奨しており、ホテルの従業員もそのような働き方で運営に関わっている。この土地と特性を読み込んで作られた唯一無二の建築であった。特に2次のプレゼンテーションの中で語られていた言葉から、大きな火山岩の上を住みこなして来た人々にとって、鉱物のようにスタンドアローンな強度のある建築は有り方そのものがこの島に呼応した建築になっているのだなと深く納得した。 八戸市美術館は現地審査が2回目の訪問であった。オープニングの時に来館した際、ラーニングセンターを象徴するジャイアントルームが印象的であった。2回目の訪問時にも多様な使われ方を見ることができた。ある場所は展覧会準備室となり、ある場所はワークショップが行われと、あげたらキリがないほど多様である。市営の美術館としての役割を大きく美術を通した学びの場として設定し、学芸員、利用者が自分たちの手で多様な運営ができるように細部にわたりその精神が貫かれている。今後の日本の美術館の役割を大きく問う作品となっている。市営の美術館のみならず今後できてくる様々な運営形態の美術館にどのように影響を及ぼすのかとても興味深い。 大阪中之島美術館も2回目の訪問であった。今回は収蔵庫に至るまで様々な場所を見せていただいた。約2万平米、約6000点の収蔵品、国立美術館にも匹敵するくらいの規模と収蔵数、近現代美術、工芸に特化した収蔵品を今後も増やしていけるよう更なるキャパの収蔵庫を持っている。 美術品を分類、保管し、その収蔵品を展示する展示室をもつ。 八戸市美術館とは大きく役割が違っている。特に印象的なのは地下から繋がり、収蔵庫、展示室を突き抜けていくヒューマンスケールを超えた中央の巨大な吹き抜けスペース。 この空間をエスカレーターで上り、下る体験は時間の層を行き来しているような感覚に陥る。浸水地域でもある場所に高く持ち上げられた黒いボックスに収められた収蔵庫、まるで現代のノアの方舟のような印象を持った。
「建築」や「建築家」の可能性を広げるものを選びたい――。 今回で2回目となる審査も、筆者はそんな姿勢で臨んだ。 本業が編集者なので、現地審査対象となった7件の印象を、「どんな可能性を開いているか」という視点で見出しにしてみた。(応募番号順) ・「星野神社 覆殿・本殿」(望月成高:望月建築設計室) →「 宮大工的手法を、構造計算を踏まえた現代的デザインへと展開する可能性を開く」。 ・「森の小屋」(佐藤 文、鹿嶌信哉:K+Sアーキテクツ) →「 小規模ローコスト住宅において素材や視界のコントロールにより新たな心地良さの可能性を開く」。 ・「 全薬工業株式会社 研究開発センター」(頭井秀和、水野悠一郎、チンシャンリン、河野 信:日建設計) →「 迷惑施設になりがちな研究所を快適かつ街に開かれた建築タイプへと変える可能性を開く」。 ・「 八戸市美術館」(西澤徹夫:西澤徹夫建築事務所、浅子佳英:PRINT AND BUILD、森純平:interrobang) →「 地方都市の公立美術館において“あいまいな領域”を積極活用し地域に貢献する可能性を開く」。 ・「大阪中之島美術館」(遠藤克彦:遠藤克彦建築研究所) →「 大都市の公立美術館における積層型大規模美術館の可能性を開く」。 ・「 太田アートガーデン」(ホルへ・アルマザン:ホルヘ・アルマザン・アーキテクツ + 慶應義塾大学アルマザン研究室) →「 どこにでもある木造住宅を施主好みの数寄屋的な建築へと昇華させる可能性を開く」。 ・「 Entô」(原田真宏:MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO/芝浦工業大学、原田麻魚/野村和良:MOUNT FUJIARCHITECTS STUDIO) →「 CLTを構造に用いた木造建築の可能性と、地方都市において街づくりに寄与するホテル建築の可能性を開く」。 ワンフレーズでまとめるとそんなところか。どれも魅力的な建築ではあったが、「星野神社 覆殿・本殿」「森の小屋」「太田アートガーデン」の3件は、その可能性がオーナーや設計者本人に閉じている感じが否めなかった。結果的にこの3件は、最終の審査から外れた。 最終段階に残った4件のうち、筆者が推していたのは、「全薬工業株式会社 研究開発センター」と「Entô」だった。 「全薬工業株式会社 研究開発センター」は、まず、前面道路から見たときの緑の多さが印象的だ。高い塀はなく、植栽で仕切られているため、一見、敷地内に入れそうに見える。 実際は入れないにしても、あやしげなブラックボックスというネガティブな印象はない。そして、室内からの緑の見え方がなんとも気持ちいい。天井ルーバーの反射で屋外の緑を内部に導くという手法が奏功している。実験室からも屋外が見える。 「Entô」の方は、まず、船からの見え方に心をぐっとつかまれた。CLTの大きな版で構成していることが海からもよく分かり、来島者へのウエルカムメッセージとなっている。 自治体が企画の中心となり、民間とともに高級ホテルを運営するという先進的なプログラムに、設計者が独特のセンスで応えていて感心した。 どちらも実物を見ないとなかなか良さが分からない建築だ。 審査の過程では、どれか1つに票を入れることを求められたため「全薬工業株式会社 研究開発センター」に票を入れた。最後の一押しは、この施設が何ら変わったことをしていないからだ。建築の可能性が“王道”の中にも残されていることにむしろ未来を感じた。 大賞に選ばれたのは、筆者が押さなかった方の2つの美術館だ。どちらも素晴らしい建築である。だが、日本建築大賞が3回連続で美術館というのは、社会に対するメッセージとして少しもったいないのではないかとも思う。「全薬工業株式会社 研究開発センター」と「Entô」も、それらと全く変わらないレベルであったことを申し添えておきたい。
2022年度 JIA 優秀建築選 JIA 日本建築大賞・JIA 優秀建築賞
田原幸夫(審査委員長)
JIA優秀建築選2022には228作品の応募があった。審査委員会としては先ず書類審査によって100作品を選定し、さらに現地審査対象として7作品を選定させていただいた。
この中で4月27日の最終公開審査に残った作品は「全薬工業株式会社 研究開発センター」「八戸市美術館」「大阪中之島美術館」「Entô」(以上応募順)の4作品である。これらの作品は、いずれも非常に完成度が高く魅力的なもので、優秀建築賞としては全審査委員、まったく異論が無かった。
しかし大賞については委員によって意見が分かれ、公開審査当日、真剣な議論が交わされた。その結果、同時期に完成し、まったく異なるコンセプトで注目された2つの美術館、「八戸市美術館」と「大阪中之島美術館」に、JIA日本建築大賞2022が授与されることとなった。
以下、2022年の日本建築大賞・優秀建築賞受賞各作品について、所感を述べさせていただきたい。
日本建築大賞
・八戸市美術館
この作品は今までの美術館のイメージを大きく変えるものであった。設計者が「ラーニング・センター」と呼ぶように、この美術館は八戸市のこれまでの文化芸術活動をベースに、これからの市民の活動の拠点となる“広場”としての建築である。計画のコンセプトもプロポーザルでの設計者の提案によるもので、八戸市民の多様な活動への大きな期待が込められている。長い時間が経過した将来、この美術館を改めて訪れてみたい。
・大阪中之島美術館
長い構想の年月を経て設計コンペが実施され完成した美術館で、堂島川に面した黒いボックスが、都市の新しいランドマークとなった。強く印象に残ったのは、展示室への観客を巧みに導く、パッサージュと呼ばれる自然光が入る吹き抜けの立体空間である。また敷地の環境に応じて、1、2階を都市に開き、3階以上の展示空間をキュービックな箱の中に納めた設計も見事で、中之島をさらに活性化し、大阪市の未来に貢献することを期待したい。
優秀建築賞
・全薬工業株式会社 研究開発センター
企業の研究所というと、どうしても閉じられた固い建築をイメージしてしまうが、この作品は敷地周辺のランドスケープと一体化し、ラボとオフィスが巧みに合体した、極めて質の高い建築である。また研究所としての性能を確保しつつ、バックスペースや付帯設備にもデザインの完璧さを目指す設計者のこだわりを強く感じた。地域に開かれた研究所として、多摩ニュータウン地区の環境の向上にも大きく寄与していくことであろう。
・Entô
島根県隠岐の島で、官民連携の町おこしで注目を浴びる海士町がクライアントのホテルである。隠岐の島はユネスコのジオパークにも認定された自然豊かな島で、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が配流された特別な歴史を持ち、このホテルもそうした島の観光の未来に向けて重要な位置を占める。
ホテルは既存の古い宿泊施設の半分を建て替えたもので、CLTの構造体による大きなガラス開口のデザインが特徴的な、斬新で魅力ある建築であった。
JIA建築賞の意味は、建築としての完成度が極めて高いという作品性だけではなく、人々の生活空間としての都市の未来に如何に貢献できるか、という視点から捉えることも重要であろう。日本建築大賞2022の審査は極めて難しいものであったが、異なるコンセプトのもと、ほぼ同時期に完成した2つの都市の美術館が大賞となった。審査委員の一人として当日の議論を記憶に留め、今後の姿を見守っていきたい。
最後に、現地審査対象作品の一つ「星野神社覆殿・本殿」は、伝統構法による木造建築における現代の建築家の貢献として、大きな魅力と可能性を感じた。建築における新築と保存というジャンルの垣根がなくなり、さらに、日本の伝統建築と近現代建築を同じ土俵で議論できる時代が来ることを祈りつつ、審査報告を終えたい。
松岡拓公雄
2つの美術館が日本建築大賞に選定された。昨年に引き続き美術館が選ばれたが美術館が有利というわけでは全くない。審査員の間では2作品とも優劣つけ難い建築作品であった。特に審査における評価基準があるわけでもない。
評価基準は時代が要請するのかもしれない。現代の環境、パンデミック、自然災害など不安材料は建築へもその影響が浸透してくる。しかしヴィトルヴィウスの三原則「強用美」の原則は揺らいではいない。今「用」は建築のニーズに重きが置かれ社会が求めている。加えて電子化の急激な進化で建築そのものが複合化し変容している。「強」に関してはコンピュータアシストで、人の命を守る構造も自在となる時代である。空間獲得のチャレンジもそれ自体で「美」に繋がる作品も多く見られる。また「美」の基準はどこにあるのか。周辺との調和や環境配慮など様々な表現要素が必要となる中、結果としてのまたは意図しての「美」、これは人によって幅広く捉えられるが、美しさは間違いなく存在する。評価基準はさらにサスティナブル、リジェネレーションなどが重なり複雑だ。そのような状況下で、私の選定の軸はそういった「強用美」であると同時に建築家の情熱と努力が見事に結晶化されているかどうかに選定の焦点を置いている。今は概して歴史、地域性、まちづくりから編み出したストーリー性、シナリオ性が時代を反映している、あるいは未来を呼び込んでいるとするならばそれは多くの作品の共通ベースになっていると言える。いわゆるコンセプトとして一言では言えないものが選定外の作品にも多く見られる。そこに価値観を置いた結果、今回の大賞が二作品になったと言える。
「大阪中之島美術館」は建築家の野心と力量が随所に溢れた作品である。コンペ時際立っていたストーリーが直球でブラッシュアップ、ディティールや素材に裏付けされ、人と美術品の関係性を追及し、強靭な建築に昇華している。そして本来の正面突破の建築として建築家の意志と使命が貫かれている。一方の「八戸市美術館」はコンペ時に提案した市民によるアートファームのストーリーを実現させ八戸市の新たな文化創造が動き出したことが見てとれた。それを十分に理解させるジャイアントルームは画期的であり確実に胎動している。両者とも美術館としてのプログラムは当然のこととして建築家の付加的な提案が秀逸である。黒と白の対比的なこの二つの美術館からは甲乙つけ難い力量が溢れている。
「全薬工業株式会社 研究開発センター」は組織力にサポートされた民間建築という評価をしていたが空間を体験した際の印象はそれが覆され、敷地のもつ潜在的な力と建築の機能がシンプルに調和し、新たな研究所のプロトタイプを生み出している。研究室からオフィス空間を抜けて外部まで視線が貫かれオフィス天井のルーバーの下面が外の色を拾って美しい。「Entô」は客室は奥行きが浅く間口を広げ床から天井までフルフラットの断熱ガラスを通して海と対峙する設計は圧巻で気持が良い。島ならではのCLTやリモート構法の親自然的な提案はジオパークと呼応し、しまづくりのシンボルとして成功している。建築家のチャレンジ精神と熱意とストーリーが素直に伝わってくる。
選外になった「森の小屋」は森のなかの癒される生活空間として傑作である。テント生活から小屋に変身させ森の息吹を四季を通して堪能できそうだ。森を纏うかのように毅然と存在し何度も体験したい建築だ。「太田アートガーデン」は駅前既存の米穀商店の空き家をアート空間として再生を図っている。見どころが多く建築を再生の方向性のひとつに挑戦している。「星野神社覆殿・本殿」は歴史を温存する方法として本殿を伝統工法のボディスーツで包みさらに歴史を積み重ねようという試みがユニークである。
今回も現地視察では見えないものが見えその重要性も再確認した。写真や説明だけではわからない空間体験は必須である。
手塚貴晴
全く種別が違う。懐石料理とフルコースフレンチとインド料理とアメリカンが並んでいる状態で理性的な回答など出しようがない。よって「最も優れている作品はどれか?」という回答ではなく、「どの作品が今のJIAのメッセージとして相応しいか?」という、建築家を施主が選ぶ時のような議論となった。大賞とならなかった方々はくれぐれも「優劣で外れたのではない」とご理解願いたい。最終的には審査員一同の時代観が決めた。
八戸市美術館は運営方針の企画から空間構成に至るまで、建築家として成し得る全てをやり尽くした作品と言って良い。明らかに資金は潤沢と言い難い。一昔前であれば「もっと材料の選択はなかったのか?」と気の毒がられそうな程に質素なのである。その境遇であってこそ本領を発揮する建築家なのであろう。全ての虚飾を取り去り自らの欲を顕示せず只管課題に取り組んだ空間の強さが見てとれる。
八戸の山車に似て聳え立ち都市を睥睨しているかと思うと、酔っ払いを奨励する地域の飲屋街のように温もりがある。
この作品は美術館の定理そのものを揺さぶる作品である。
その点が現代的であると言う向きもあろうが、そこに至るまでの絡繰は一朝一夕に組めるものではない。長年の経験と人脈それを可能にした人間性の成せる技である。一歩踏み入れてから出る瞬間まで心の温まる施設である。
大阪中之島美術館は八戸市美術館と対象的な施設である。
設計競技の遥か前から美術館の要件は決まっていた。既に大阪が所有している財産の収蔵庫に近い。戦うべくは時間である。人間の寿命を超えて次世代へと作品群を守らねばならない。その重い任務に負けず都市空間を内部空間へと織り上げた力量は秀逸である。「アトリエでありながら大手事務所並みにやりきっている」との評を幾たびか耳にした。
しかしそのような偏見に囚われず審査したつもりである。
設計者の目地に対する執着は異常と言える。しかし思うのである。たとえこの目地があろうとなかろうと、この建物の本質は変わらない。
全薬工業株式会社 研究開発センターは美しい作品である。ピエール・シャローやカルロ・スカルパに時間と資金を与えればこうなったかもしれないと妄想した。階段の詳細を眺めるだけで1日が過ごせそうである。少々建築マニア向けの作品とも言える。
Entôは遠隔地という不利を逆手にとった禁じ手である。
禁じ手というのは、審査員としてどうしても「情」が働いてしまうからである。兼業を自認する職員の言葉も真実味を帯びて迫る。事実であろう。審査の日は悪天候で氷が吹きつけていた。その気候に負けず水辺に屹立し我々は守られていた。審査の場ではあまり強調されていなかったが、水辺に迫り出した基礎構造は設計者の得意とする手法である。
太田アートガーデンは地元の文化を心憎いまでに演出した名場面である。幾度も訪れたい場所である。特に中でもない外でもない不思議な空間が新鮮であった。
星野神社覆殿・本殿の被いは、純粋で美しい作品である。
最終に残らなかったのは、大賞という日本の建築界全体を映すには、ビルディングタイプとして無理があったというだけのことである。
森の小屋は内部と外部の比率が快適である。小ささを大きな建物を凌駕する力としている。
長い議論の末に大賞が2作品となってしまった。両作品とも極めて完成度が高く1つに絞ることができなかったからである。これは時代が建築家の職能の分岐点に到達していることを表しているように思う。大阪中之島美術館は伝統的な建築家の職能を全うしている。八戸市美術館は建築家
の職能の範囲を大きく広げている。
永山祐子
現地審査に残った7作品は規模もプログラムも違う建築であった。その中で唯一、大阪中之島美術館、八戸市美術館は同じ美術館だ。しかし、現地審査、最終審査でも議論があったようにこの2つのプロジェクトは美術館の大きく違う性質を建築表現の中に顕著に際立たせており、そしてその両方ともに大切な役割を担っていた。結果的にはどちらを大賞にするかという議論の中で田原委員長の大きな決断のもとJIA日本建築大賞史上初の2つの作品が大賞として選ばれることになった。私は正直なところ衝撃を受けた。
建築はどんなに良い案が2つあろうとも最後は1つが選ばれ、1つしか実現しない。そういう厳しさを賞にも当てはめていたからなのかもしれない。でも賞は違う。手塚審査員の賞はなるべく出した方がいいという発言も印象的であった。
田原委員長の言葉の中に全く異なる美術館が2作品出てきたこと自体が今年の傾向であり、それを象徴する意味でも両作品に賞を出すという意図を聞き、改めて賞は後々見返した時にその時代の傾向を留める建築の記録の象徴でもあるということに思い至った。一方で、様々な評価軸が増えた今、大賞を決める難しさを感じた。
文字数の関係上、最終案として印象に残った3作品について現地審査、最終プレゼンテーションの所感を述べたい。
隠岐島のEntôへの現地審査は悪天候のため日程変更を余儀なくされた経緯があったほどになかなか行きにくい場所である。ユネスコのジオパークに認定されたカルデラ湾を望むフェリーの玄関口に建つホテルはフェリーが港に着く前から客室の並ぶ姿が象徴的に見えてくる。離島ならではの輸送、工法を鑑みて緻密に練り上げられたCLTを使った特殊構造の建築。そして漁業農業を半々に職業にしているという島特有の働き方から半官半Xとして公務員が他に職業を持つ働き方を推奨しており、ホテルの従業員もそのような働き方で運営に関わっている。この土地と特性を読み込んで作られた唯一無二の建築であった。特に2次のプレゼンテーションの中で語られていた言葉から、大きな火山岩の上を住みこなして来た人々にとって、鉱物のようにスタンドアローンな強度のある建築は有り方そのものがこの島に呼応した建築になっているのだなと深く納得した。
八戸市美術館は現地審査が2回目の訪問であった。オープニングの時に来館した際、ラーニングセンターを象徴するジャイアントルームが印象的であった。2回目の訪問時にも多様な使われ方を見ることができた。ある場所は展覧会準備室となり、ある場所はワークショップが行われと、あげたらキリがないほど多様である。市営の美術館としての役割を大きく美術を通した学びの場として設定し、学芸員、利用者が自分たちの手で多様な運営ができるように細部にわたりその精神が貫かれている。今後の日本の美術館の役割を大きく問う作品となっている。市営の美術館のみならず今後できてくる様々な運営形態の美術館にどのように影響を及ぼすのかとても興味深い。
大阪中之島美術館も2回目の訪問であった。今回は収蔵庫に至るまで様々な場所を見せていただいた。約2万平米、約6000点の収蔵品、国立美術館にも匹敵するくらいの規模と収蔵数、近現代美術、工芸に特化した収蔵品を今後も増やしていけるよう更なるキャパの収蔵庫を持っている。
美術品を分類、保管し、その収蔵品を展示する展示室をもつ。
八戸市美術館とは大きく役割が違っている。特に印象的なのは地下から繋がり、収蔵庫、展示室を突き抜けていくヒューマンスケールを超えた中央の巨大な吹き抜けスペース。
この空間をエスカレーターで上り、下る体験は時間の層を行き来しているような感覚に陥る。浸水地域でもある場所に高く持ち上げられた黒いボックスに収められた収蔵庫、まるで現代のノアの方舟のような印象を持った。
宮沢洋
「建築」や「建築家」の可能性を広げるものを選びたい――。
今回で2回目となる審査も、筆者はそんな姿勢で臨んだ。
本業が編集者なので、現地審査対象となった7件の印象を、「どんな可能性を開いているか」という視点で見出しにしてみた。(応募番号順)
・「星野神社 覆殿・本殿」(望月成高:望月建築設計室)
→「 宮大工的手法を、構造計算を踏まえた現代的デザインへと展開する可能性を開く」。
・「森の小屋」(佐藤 文、鹿嶌信哉:K+Sアーキテクツ)
→「 小規模ローコスト住宅において素材や視界のコントロールにより新たな心地良さの可能性を開く」。
・「 全薬工業株式会社 研究開発センター」(頭井秀和、水野悠一郎、チンシャンリン、河野 信:日建設計)
→「 迷惑施設になりがちな研究所を快適かつ街に開かれた建築タイプへと変える可能性を開く」。
・「 八戸市美術館」(西澤徹夫:西澤徹夫建築事務所、浅子佳英:PRINT AND BUILD、森純平:interrobang)
→「 地方都市の公立美術館において“あいまいな領域”を積極活用し地域に貢献する可能性を開く」。
・「大阪中之島美術館」(遠藤克彦:遠藤克彦建築研究所)
→「 大都市の公立美術館における積層型大規模美術館の可能性を開く」。
・「 太田アートガーデン」(ホルへ・アルマザン:ホルヘ・アルマザン・アーキテクツ + 慶應義塾大学アルマザン研究室)
→「 どこにでもある木造住宅を施主好みの数寄屋的な建築へと昇華させる可能性を開く」。
・「 Entô」(原田真宏:MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO/芝浦工業大学、原田麻魚/野村和良:MOUNT FUJIARCHITECTS STUDIO)
→「 CLTを構造に用いた木造建築の可能性と、地方都市において街づくりに寄与するホテル建築の可能性を開く」。
ワンフレーズでまとめるとそんなところか。どれも魅力的な建築ではあったが、「星野神社 覆殿・本殿」「森の小屋」「太田アートガーデン」の3件は、その可能性がオーナーや設計者本人に閉じている感じが否めなかった。結果的にこの3件は、最終の審査から外れた。
最終段階に残った4件のうち、筆者が推していたのは、「全薬工業株式会社 研究開発センター」と「Entô」だった。
「全薬工業株式会社 研究開発センター」は、まず、前面道路から見たときの緑の多さが印象的だ。高い塀はなく、植栽で仕切られているため、一見、敷地内に入れそうに見える。
実際は入れないにしても、あやしげなブラックボックスというネガティブな印象はない。そして、室内からの緑の見え方がなんとも気持ちいい。天井ルーバーの反射で屋外の緑を内部に導くという手法が奏功している。実験室からも屋外が見える。
「Entô」の方は、まず、船からの見え方に心をぐっとつかまれた。CLTの大きな版で構成していることが海からもよく分かり、来島者へのウエルカムメッセージとなっている。
自治体が企画の中心となり、民間とともに高級ホテルを運営するという先進的なプログラムに、設計者が独特のセンスで応えていて感心した。
どちらも実物を見ないとなかなか良さが分からない建築だ。
審査の過程では、どれか1つに票を入れることを求められたため「全薬工業株式会社 研究開発センター」に票を入れた。最後の一押しは、この施設が何ら変わったことをしていないからだ。建築の可能性が“王道”の中にも残されていることにむしろ未来を感じた。
大賞に選ばれたのは、筆者が押さなかった方の2つの美術館だ。どちらも素晴らしい建築である。だが、日本建築大賞が3回連続で美術館というのは、社会に対するメッセージとして少しもったいないのではないかとも思う。「全薬工業株式会社 研究開発センター」と「Entô」も、それらと全く変わらないレベルであったことを申し添えておきたい。