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作品名 | 設計者 | 事務所名 |
PATIO | 矢板 久明/矢板 直子 | 株式会社 矢板建築設計研究所 |
Yo(ワイオー) | 長田 直之 | 株式会社 ICU一級建築士事務所 |
風の間 | 芦澤 竜一 | 芦澤竜一建築設計事務所 |
House T (ハウス ティー) | 篠崎 弘之 | 篠崎弘之建築設計事務所 |
PLUS(プラス) | 原田 真宏/原田 麻魚 | MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO |
講評:岸 和郎 随分久しぶりにJIA新人賞の審査を担当することになった。 以前私が受賞した時代にはJIAには新人賞しかなかったのだが、今では随分賞の数も増え、以前には考えなくても良かったこと、すなわち、新人賞とはどんな人と建築に与えられるべき賞なのだろうか、などと考えながら、一次の審査会場に望んだことを憶えている。 一次は公開審査であり、現地審査となるべき作品を5点選ぶわけだが、この賞のエントラントである建築家諸氏を前にしての審査とは、むしろ審査されているのは審査員である自分達なのだという思いを強くした。問われたのは審査員である我々の価値観だった。 であるならば、当初に頭をよぎっていた新人賞の意味を問う事はむしろ第二義的な事項であり、私としては単純に発信力のある建築を選びたい、と考えていた。 当たり前の事だが、一次の審査資料、紙の上の建築像と、現実にそれが建つ場所に足を運んで体感する建築像とはまるで異なっている。しかもそれが依って立つ社会的背景や地域、気候、風土まで、まるで異なっている建築作品を比較審査するのは大変な事ではあるのだが、しかし、そうした条件が異なっているからこそ浮かび上がる建築の強度も在る。 「PATIO」は一見しただけだと一般的に了解可能な都市解釈から導かれた平面形式と普遍的なテクノロジーの洗練された援用の結果であるかのように見える。しかしこの建築は、そんなに単純なものではなかった。単純に見えた平面形も高さ関係を含め微妙に調整されているし、構造も見た目ほど単純なものではなかった。現地審査をする賞の審査だからこそ、見えてくるものがある。建築が紙面の上だけでは分からないものだという代表例かもしれない。単純さを実現するための膨大な作業の結果としての建築、といってもいいだろう。 「Yo」も、実はそうした作品のひとつだった。もちろん、「PATIO」の現場でなければ理解出来ない部分と、「Yo」のそれとは違う。「Yo」は、もっと「美学的」と言っていいかもしれない。微妙に歪んでいる内部空間とそれを表象するかのような外部のステンレスパネル。しかもそのぞんざいといっていいような取り付けディテール。それに対して内部空間の妙に小さなスケールと繊細な取り扱い。そうした、それぞれは小さいが、そこここに仕込まれた奇妙なずれや齟齬が、結果として建築全体にそこはかとない、奇妙な違和感をもたらすことに成功している。 今時、美学的な建築を構想することほど、時代から外れている営為もないだろう。今回の二つの作品はそれぞれまるで異なった立ち位置からではあるが、いずれもそんな反時代的な建築を夢想しているかに感じられた。私はそんな反時代的な建築こそ次の時代を担う新人賞にふさわしいのではないかと、実は考えているのだ。
講評:小泉 雅生 新人賞は人に対して授与されるものである。しかし、同時に作品名もそこに附される。すなわち、過去の受賞者を振り返るとき、同時にその作品も思い起こされることとなる。新人賞に資する建築家であることは間違いないが、この作品で記憶されるのは本人にとって本意だろうかとの議論から、各段階で選を外れたケースもある。そのような経緯から選に漏れた建築家におかれては、記憶されるべき次の作品へのエールと受け取っていただきたい。 PATIOは洗練されたディテールワークに目が奪われがちだが、賞賛すべきは、中庭を長手方向に細長いプロポーションにとり、さらに相対する建物を半層ずらすことで、平面だけでなく断面的にも流動的な空間としている点である。パティオという言葉からイメージされるスタティックな空間性を保持しつつ、相互に拡がりを持つ立体的な空間の連続体へと深化させている。敷地に限りがある都市型住居における、新しいコートハウスの提案といえよう。パティオを介して対角に見上げるシーンがお気に入りだというクライアントの評からも、狙い通りの空間ができあがっているさまがうかがえた。 YOにおいても、パズルのようなヴォリューム形状操作という、PATIOとは別種のマニアックさに目がいく。が、現地に赴けば、面の素材を変え角度をずらすことで、厳しい外部環境に対峙するべく存在感を持たせ、同時に周囲になじむように和らげていくという、設計者の両義的なスタンスに気づかされる。内部においても、厚い壁によって守られつつ、「ストレッチ」して身体にフィットする空間となっている。雪深い地の週末住居ならではの提案といえよう。「夜、照明の光を受けた時に、異なる角度の壁が織りなす表情が美しい。」と語るクライアントの言葉からも、その効果が推察される。 今回は年齢層の高い受賞者となった。「新人」という言葉を、年齢だけではなく、また新奇なものを作るという意味だけではなく、とらえた結果である。はやりのモチーフを巧みに組み合わせるのではなく、建築家としての自らのスタイルが示されていることを評価したものである。また両受賞作とも住宅建築であるが、クライアントとの協働関係の枠の中に収まらず、よりスリリングにデザインを昇華していく強さが感じられた。すなわち、住宅作品ながら、その中に建築家としての今後の可能性を読み取ることができた。その点も選定の一つの大きな理由となった。 最終的に、第一次の書類選考で票を入れていない2作品が受賞することとなった。現地を見てみないとわからない、もしくは他の審査員との対話によって発見した部分も多いとはいえ、紙上の表現に惑わされがちなことを痛感した次第である。
講評:冨永 祥子 現地審査対象となった5作品は、ローコストとそうでないもの、敷地条件のタイトなものと緩いもの、都市住宅と別荘、フレッシュさと熟練度など、お互いが様々に組み合う形で対比をなしていた。何を軸にこの賞を選ぶべきか、実は現地審査を行うあいだずっとそれを模索していたというのが正直な状況である。東京・熱海・那覇・金沢を飛び回った3日間は、現地や移動の車中で審査員・設計者・施主と建築についてひたすら話し合う密度の高い時間であり、日々刻々と(一日の中でも)めまぐるしく自分の考えが動いていく、一種異様な体験だった。 矢板久明氏・矢板直子氏の「PATIO」は、非常に高い密度のディテールの集積でできている。もちろんディテールだけでなく、道路と並行に取った中庭のあり方やスケール感・床レベルの絶妙な設定・多素材のまとめ上げ方・外部空間の質の違え方など、言葉にすると新しいわけではないが現地で納得できることがとても多くあった。マウントフジの「PLUS」は、周辺環境と建築の「見せ場の作り方」を心得ており、全てを美しい空間の追求へと削ぎ落とす姿勢が徹底していた。同時に個々の納まりもきっちり押さえられていて老成したスキルを感じた。篠崎弘之氏の「House-T」は、敷地条件の厳しい中、個別解でありながら都市住宅として共有できるさまざまな切り口(周辺環境・構造・歴史・生活など)を丁寧に形で呈示している。小さい床面積の中に実に多様なシーンがちりばめられ、プロポーションやスケール感覚にも卓越した力量を感じた。芦澤竜一氏の「風の間」は、沖縄という特別な風土・環境に向き合いつつ、民家の伝統と現代の連続を試みる意欲的な作品である。床下に風を通したり雨水を調整する仕掛けに、施主が自ら手を加えながら住むという、生活の楽しさや逞しさが感じられる住宅であった。長田直之氏の「Yo」は、壁の3°の効果には現地を拝見して合点がいった。ズレが生み出す微妙な違和感は隣接する部屋への意識の連続感を生み、心理的に微弱な負荷をかけている。この角度は外壁の仕上げの丁寧な使い分けと相まって、外観においても全体像を固めさせない効果を発揮しており、それがカッチリと作りこまれた住宅の持つある種の息苦しさとは対極にあると感じた。 いずれ劣らず差のつけがたい力作で、拝見する前はほぼ横並びだったが、最終的には現地で得た納得度(あるいは意外度)の大きさが決め手となった。選ばれた両作品の印象は一見とても対象的だが、どちらもその本当の魅力が紙面上では汲み取りづらい、という点で共通していることがわかり、だからこそ現地審査の意味があることを痛感した。ご協力頂いた全ての方々にあらためて御礼申し上げたい。
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