2004年度JIA新人賞講評



 2004年度のJIA新人賞は、応募作品として43作品が寄せられた。第1次書類審査後、池原義郎、六鹿正治、坂本昭の3名の審査員により、6作品を選出。その後、第2次審査の現地調査を行った。この程、最終審査がまとまり、2作品が2004年度のJIA新人賞に決定した。

応募総数  43作品 
第一次審査通過数  25作品
現地審査対象作品   6作品
審査員  池原義郎 ・ 六鹿正治 ・ 坂本 昭  (敬称略)  

受賞者
福島加津也 + 冨永祥子
受賞作品 中国木材 名古屋事業所

藤本 壮介
受賞作品 伊達の援護寮
順不同

他の現地審査対象作品

風の輪

White Temple/阿龍山瑞専寺紫光堂
  五十嵐 淳 山口 隆
風の輪
White Temple/阿龍山瑞専寺紫光堂
 
和歌の浦アート・キューブ 二宮のアトリエ
  下吹越武人 阪根 宏彦
和歌の浦アート・キューブ
  (順不同)
講評: 池原義郎

「伊達の援護寮」評
  1999年から2000年にかけて、青森県立美術館の公募設計競技があった。数次の審査会を重ねて、最終的に2案が残った。青木淳氏と藤本壮介氏の作品であった。議論の末に青木案が最優秀に決定したのだった。大変な応募案の全てを見る第一段階のときから、私は この2案が最終的に残ると信じていた。そして10点ほどがヒアリングの対象となった。藤本氏以外は、数人から10人程の体勢でそれに臨んだが、彼は唯一人で、小さなモデルを片手にして淡々と語り続けるのであった。
  “テーマは「弱い建築」”と語る。“都市或は立地の全体からの秩序によって解くのではなく、部分と部分の関係、即ち「小さな秩序」から解いて行くのだ。”と語る。
  この美術館を含む大公園計画は岡田信一氏によるものであり、そこには大きなレイア・グリッドが示されていた。藤本氏は、それに更に小さなグリッドを想定し、それを恰も五線譜の上を走る音のように壁が曲折となって優しい空間を囲み、開いているのだった。
  2004年の9月に雑誌で伊達の援護寮を発表した。そこでは、2001年JAで論じた「部分の建築」という自らの方法、或は概念を更に具体化し語っている。彼の語る“部分”とは“部品”ではない。部分の生き生きとした関係そのものを指している。
  この援護寮の敷地は海に向かって傾斜した草原である。その斜面にうねった等高線を想定する。それが湾曲した五線譜となっているようだ。角で接した5.4m角の正方形とそれらに挟まれた三角形の隙間が連ねられ、一連の“居場所”の連なりとなって生きた空間が草原を這い動き、その広大な環境と関わっている様を配置図が示している。
  20人の個室がある。“個室は決して広くありません。でも、その中の「しつらえ」は個人の「居場所」とするように自由性を大切に考えました。”と語る。また、更に“ある意味では「居場所」の建築である。いや、むしろ「それぞれの居場所同士の関係性=部分」と考える。”とも語る。
  これは建築計画の理論を超えて、彼の建築に対する柔らかい思想といえよう。

「中国木材 名古屋事業所」評                     
  2004年3月の雑誌に掲載されたこの作品に対する設計者の文のタイトルが「できたての空間」であった。その表現の内容は何なのだろうか?という気持で一瞬に読んでしまった。
  感情と技を研かれた料理人が、その眼力によってよい素材と出会い、豊かな経験とノウハウを見ごとな手際をとおして、心をこめて無駄なく、さらりと見ごとな調理を人に捧げる。そんな感じをこの建築の過程に思いおこして、一言「できたての空間」と書いている。
  木材会社の名古屋事業所主催の公開設計競技が行われた。同社の製品であるベイマツ乾燥材と集成材を使って新しい可能性を提案することが求められた。その最優秀案を勝ちとり、そのコンペを含んで一年間という短期間で竣工させなければならなかったようだ。それは一時の手もどりも息抜きもその余地はない行程であったにちがいない。
  当社は住宅に向いた部材を主目的としていたため、小さな部材が主材であり、それを使って1,000㎡を超えるオフィスを作ることが課せられた。そしてそれに木造建築の可能性が求められたのであった。
  誌上で拝見した一見で、全体の構成、それに対する集成材、乾燥材からの発想がストレートに示された見ごとさを思った。それらが明快であり、新しい解を出したにも拘らず、決して奇抜感をせまるものでなく、自然な安心感のような親密さと清々しさを感じた。
  小スケールの各部材、素直な使用、さらに木材の含水による誉動と、ケーブルのテンション機能に加えてスプリング機能の合体、という目には見えない解。……そこに注がれた技術と表現への情熱を快いほどに自然なもと見せるのであった。
  この作品快作を拝見し「できたての空間」の言葉を反芻して帰路についた。

「和歌の浦アート・キューブ」評                   
  この仕事に関わっていた期間、この地に住みつきながら、住民との意を重ねて制作した優作である。和歌の浦との関連を保ちつつ格調が高い。特にホール・ブロックの質の高さに瞠目するばかりであった。

「White Temple/阿龍山端専寺紫光堂」評                       
  深い山々の中の深い風格をもった端専寺の境内に建った、単純な白い箱の中に、静謐な幽明の気が交わる場を醸出している。

「二宮のアトリエ」評
  名古屋の木場でアフリカ産のべドック材との出会い、製材から、加工、設計、組み立て、…そして、この敷地と隣接地との関係、求められた内空間を構成するまでの体と心と技の感動を伝える作である。

「風の輪」評                                  
  北海道の草原の傾斜地に残された離農地で、女性陶芸家が6人の子供達の里親として共に住むものである。当然大変なローコストであるが、北国の草に囲まれて素朴に香る一棟の長い家である。凍上線まで掘り下げられた半地下と微かに浮上する長い空間は、親密な上下左右の変化を内在させている。好感を覚えながら帰って来た。


講評: 六鹿正治

新人、アトリエ、組織
  「組織事務所に所属する建築家がJIA新人賞を受賞する可能性はない」と思っている人が多いらしい。そんなことは応募要綱のどこにも書かれていないし、JIAとしてもそんなことを意図していない、もっと多くの応募を組織事務所の建築家からも求めたい、という意図もあって、組織事務所に所属する私が今回の審査委員の一人に選ばれたと聞かされていた。
  50を越える応募作品の中には、組織事務所に所属する建築家からのものも少数ながらあったが、ふたを開けてみれば、結局、現地審査に残った作品はすべて、個人ないしは小アトリエの作品ばかりとなった。
  たしかに作品の規模や複雑度や技術レベルについては、組織事務所の建築家から出ている作品の方が一歩先んじていることが多いとも言える。しかし、大規模で複雑で技術レベルが高度であればあるほど、応募者が必ずしもトップとして統括しているわけではない背後の強大な組織力や他人の力を感じてしまうというジレンマに陥る可能性がある。
  その一方で、個人やアトリエの作品の場合は、比較的小規模なものが多いが、それだけに、作品の隅々までコンセプトの一貫性を感じ取りやすく、そして何よりも、応募者個人の力がすべて反映していることが明確に読み取りやすい。個人やアトリエの作品では、応募者が、仕事獲得からトラブル処理の全責任まで、その作品にかかわるすべての責務を、他者と分担することなく一身に背負っているのである。
  設計力だけをとりあげれば、経験の幅と量にもよるが、非常に優れた建築家が組織の中には大勢いる。しかし、組織に所属するという枠組みが理由で、宿命的に超えられないのは、作品の責任のすべてを個人で背負うということである。その「ハンディ」を差し引いても余りある、とてつもなく優れた超絶的作品でもない限り、組織の建築家でJIA新人賞を与えられる人はなかなか現れないのではないか。
  JIA新人賞は、「新進の建築家による作品を通して人を表彰」するものと規定されており、「新人」の「人」そのものがむしろ授賞対象と考えられている。だから、その「新人」の作品への関わりと責任のあり方が気にかかるところであるのだ。著作権の所在の問題もあるかもしれない。あらためて、組織事務所の建築家がこの賞をとることの困難さを、審査する側に立ってみて、強く感じさせられることになった。
  
審査結果について
  審査に先立って送られてきた応募パネルのコピーを見ると、情報量にばらつきがあって、これだけで授賞候補を絞るのは危ういと感じた。殆どの応募作品が既に主要な建築雑誌に掲載済みなので、それらを徹底的に読み込んだ上で、設計者自身からの説明を受ける公開審査会に臨むことにした。
  代々木のJIA大会での公開審査会の段階では、下吹越と藤本が鼻一つリードしていて、それに山口、五十嵐、阪根、福島+冨永が一段となって追っている印象を受けていた。ところが現地審査で、福島+冨永が急浮上して、下吹越が僅差で外れることになった。
  まずその下吹越武人さんの和歌の浦アート・キューブ。新建築の表紙を飾るほど、正面のホールのファサードは重厚な精悍さを漂わせて見事な出来である。しかも、ガラスの奥の銅版が陽の光の移ろいとともに輝きを幻のごとく変えていく様は妖艶でさえある。場所や景観への収まりも昔からそこにあるかのごとき貫禄と落ち着きである。高度経済成長時代を通じてこの景勝の地を視覚的に少しずつ損ねてきた周辺のあまたの建物群に対して、今後の手本を要の地に楔のごとく打ち込んだ感がある。それだけで十分に新人賞に値する出来と思われたのに、一歩届かなかったのは、全体が見事なだけに、対照的に、諸機能を統合する空間構成の中心となっている中庭とそれを囲む諸室のつながりや関係性に活気や暖かさを生みだす何かが足らないという思いを現地で拭い去れなかったからである。
  実際に敷地のそばに住み込んで設計・監理を進めたことや、ユーザーとしての市民・発注者としての役所・そして近隣を巻き込んでワークショップ的に仕事を進めたことなど、建築家としての姿勢を確固として持つ、注目すべき大型新人が現れたことは確かである。

 一方、現地審査で評価の高かった福島加津也さんと冨永祥子さんの中国木材名古屋事業所では、単純明快な構成の中に、材料と構法と空間の幸福な一致が心地よく感じられ、施工の確かさとあいまって、建築としてのインテグリティの高さも感じられた。
  名古屋港に連なる茫漠たる倉庫が原というか倉庫街のスケール感の中では、写真や図面で想像していたよりも遥かに小ぶりの建物という印象をもったが、中に入ると緩やかな曲線の屋根の下に大らかな執務空間がスケール感よく快適に広がっている。
  施主の会社のショールームも兼ねるので、取り扱っている商品を組み合わせて作るというチャレンジの中から生まれた木造・半自碇式吊り構造であるが、材のもつ暖かさや柔らかさを、形態と光のグラデーションによって見事に引き出して、きわめて心地よい空間が作られている。
  敷地のコンテクストに複雑性がないことや、仕事に非常なスピードが要求されたということが、このように明快でインテグリティの高い建築を生み出す素地となったことは容易に想像できるが、それだけではこの心地よさは無論生まれない。ディテールや技術や施工性まで含めた建築のコンセプトの透徹の勝利である。

 藤本壮介さんの伊達の援護寮は、一見幾何学の遊びに見える空間結合の原理が、実は、豊かな感性と周到な模型スタディによれば、かなり複雑な機能構成や敷地適応を可能とするものになり、その結果、時に流れ時に佇む、驚きと日常を同時に並存させることの出来る瑞々しい空間構成を生み出しうるものであるということを覚らせることに成功している。この藤本さんの原理は、今後の彼自身の設計活動の中でさらに洗練発展させられていくのではないかという期待を抱かせるものである。
  有珠山を近くに望み、海に向かって緩やかに傾斜する丘陵地の中腹に建つこの建物は、少し古くて恐縮だが、チャールズ・ムーアのシー・ランチを思い起こさせた。角度を変えて集合する単位空間の屋根や壁面のさまざまな輝きが敷地の自然景観と溶け合って、一つの調和の取れた風景を形成している。この建物は精神障害者が社会復帰する前の生活訓練をする場としての寮として作られており、内部空間のスケール感や眺望の広がりや予期せぬ変化など、頭脳を心地よく刺激せずにはおかないつくりは、マイルドな材質感とあいまって、目的にふさわしい建物としての評価が高いものと観察している。
  一つ苦言を言うならば、評価対象ではないというものの、同じ設計者によって少し前に作られた隣接建物に、この援護寮とのデザイン的関連性を見出しえないことである。

 なお、今回惜しくも受賞に至らなかったが、五十嵐淳さんの風の輪と阪根宏彦さんの二宮のアトリエについては、設計時のプログラムと実際の使われ方に微妙なずれがあるようだった。共に木という材料を尊重し、きわめて上手に使って空間を構成している秀作だが、異なる意味で形式が優先されて人間の心理面への考慮が二番目になっている点が少し気になった。山口隆さんのWhite Temple/阿龍山瑞専寺紫光堂は、前作のGlass Temple/霊源寺透静庵よりもはるかに明快な単機能を宿す精神性の高い箱であるだけに、ディテールやスケール感に一層の説得力が必要だったのではないかと思われる。
  評文の結びにあたり、今回の会場でまた現地で、熱心にご説明いただき、またご案内いただいた前途有為の建築家の方々に心から感謝申し上げたい。


講評: 坂本 昭

 藤本壮介さんの「伊達の援護寮」(受賞作)は美しい自然環境の中に地表と相応し手をつなぎあうように建ち並んでいる。重なりあう屋根形状が山々から海へと広がる風景に様々な情景を生み出していた。個をずらしあい、間を生みながら全体を構成するといった手法により、単調になりがちな機能に対し様々な場、空間を生み出している。歩くたびに変化する通路空間やそれに付属するたまりの空間など、多人数が住まう場としての新たな可能性がみられた。設計者が述べる「居場所の建築」として、今後を期待させる作品であった。

 福島加津也さん・冨永祥子さんによる「中国木材 名古屋事業所」(受賞作)は、住宅スケールの木材を吊り、フレームを構成し、積み重ね、構築された明快な建築である。木材による吊構造という新たな工法により生まれた事務室空間は天井が柔らかな曲線を描き、木のもつ優しさも相成り、美しい空間に仕上がっていた。更衣室、ユーティリティースペースの上にはテラス空間が配され、事務空間と食堂を分化し、外部空間を介したつながりを創り出している。大・中・小の空間を構法、機能と共に変化させ、まとまりのよいものにしている。工業化された木材に対する木構造の新たな可能性を示す作品ではないかと思う。

 五十嵐淳さんの「風の輪」は北海道の雄大な自然の中に位置している。里親と里子6人のためのこの建築は、凍結深度によりに掘られた半地下空間と幅4.55m、奥行43.68mのワンルーム空間からなる。個室化された空間を高低差により分割し配置する事で、ワンルーム空間の中に様々な場を構成している。配置計画からみると、玄関ホールより大食堂・個室へと徐々にプライベート性の高い機能へと変化していくのもその特徴であるといえる。通常の住宅とは異なる性質であるものの、居住するうえで与えられた奥行き、高低差のある空間は住人に様々な場を与えていた。

  山口隆さんの「White Temple」は寺社、湖、山林の中に異物ともとれる白い箱として位置していた。一見相反する様であるが、位牌堂という特異な施設のもつ精神性も相成り、凛とした場を創り出している。地に脚を落とさずかすかに浮かぶ箱は外界と離れた特別な時間が流れている様であった。内部もまた外界とは切り離され、壁に映しこまれる光の移ろい、静寂の中から聞こえる木々のざわめく音、鳥のさえずり等、空間により研ぎ澄まされた五感に語りかけるように、非日常的な祈りの場を創り出している。他の作品にはない精神に訴えかけるものがこの建築にはあった。

 下吹越武人さんの「和歌の浦アート・キューブ」はコンペティション後、地域住民とのワークショップにより計画された作品である。比較的小さなボリュームが建ち並ぶ周辺環境に対し、単一形態としてではなく、分棟型の配置計画とすることで、施設内に道空間、広場空間を創り出し周辺と結んでいる。ホールを有するアトリエ1は和歌の浦の自然と相応した美しい姿を街へとなげかけていた。さもすれば、箱モノになりがちな同様の施設に対しワークショップにより導かれた各機能やボリュームが地域との関係をより一層深いものにしていた。

 阪根宏彦さんの「二宮のアトリエ」は製材の段階から立会った3本の丸太から構成されている。原木から切り出した事により得られた最長10mの部材は、自由な断面形を可能にし、荷重の集約点をずらしボルトにより締結されている。そのため、長手方向に斜材がなく、建築意匠と構造が一体となり、林立する周辺の木々と連続する2層の単一空間を創り出している。製材から完成までのプロセスもまた、他の作品にはみられないものであり、素材の特徴、個性を踏まえた上でなされる木造建築本来の形式と呼べるのではないかと思う。

JIAマガジン「建築家architects 3月号より」