講評:香山 壽夫
現地審査をした6作品は、いずれも力のこもった立派な作品で、いずれからも強い感銘を与えられた。可能なら全てに賞を与えたいと思ったが、数はふたつと厳しく定められているので、難しい決断をせざるを得なかった。
手塚貴晴 + 由比さん達の「屋根の家」はすでに写真等を見て強い関心を持っていたのだが、現物を見て、その類稀な斬新さに度肝を抜かれた。しかしこの建築の素晴らしさは、 単に人を驚かすだけでなく、同時になんとも親しみ易い、昔子供の頃どこかで遊んだことのあるような、なつかしさも与えてくれるところである。奇抜さで人を驚かすだけならそんなにむずかしいことではない。なつかしいだけの建物はあちこちにある。しかしこのふたつを共存させることは容易なことではない。「屋根の家」はそれをあっけらかんと成し遂げた。屋根の上全体を日常的な生活空間としたいというアイデアを最初に出したのは、建築主である高橋氏夫婦だという。私も子供の頃、よく屋根に上って長い間遠くを眺めたりすることが好きだったから、このイメージには強い共感を持った。手塚さんはこの屋根に10分の1の勾配を与え、木デッキで覆い、随所に下の部屋から直接上がる階段をつけた。この建築的アイデアは抜群の効果を上げ、屋上と屋下の部屋を密接につなぐだけではなく、屋根の下の部屋ものびやかな空間とすることに成功している。この作品は、特殊解として成り立っているだけでなく、一般解としても成り立っていると私は思った。この屋根の家が立ち並ぶ住宅地は、これまでにない楽しい町になるのではないか。私はそれを想像して、実に愉快になった。
髙砂正弘さんの「森の展望台・トイレ」はいずれも茨木市青少年野外活動センターの森の木立の中にうずもれるように立っている、小さな小さな建物である。建物があると気付かない人もあるかと思われる程の小さなものだ。しかしそれらが持つ力は誠に大きい。同じ敷地の中に建てられている本部棟や宿泊棟等、他の様々な大きい建物をはるかに超えて、光を放っている。私は先ず、こうした目立たない小さなものに、これだけの心をこめ、力を尽くしている建築家の姿勢に深い感動を覚えずにはいられなかった。これこそが、社会的芸術家といわれる建築家の姿ではないか。こうした仕事が、積み重ねられてはじめて私達の暮らす町も山も川も美しく豊かなものとなるのではないか。そしてまた、このふたつ建物は、造形とという観点のみからみても素晴らしい。重ねられ組み合わされている壁の比例が見事であるし、細部は練り上げられ洗練されている。透かし張りの横板を通して差す光の縞模様は小鳥のさえずりのようにほがらかで、それに包まれて休む人の心はなごむ。審査員一同一致してこれらの作品を選出できたことも嬉しいことだった。
講評:石田 敏明
今回の審査では現地審査対象作品が6点あり、そのいずれもの作品はその置かれている環境や風土を読み、その存在との関係が見事に建築として表現されていました。ただ、私は新人賞という作品を通して建築家に与えるという賞の性格からデザインの完成度や成熟度といった評価ではなく、建築を社会に向かっていかに接続させようとしているか、また個人あるいはグループの建築家として、そうしたイメージを自覚的にリアライズしているかに着目しました。
「富士北麓の家」は週末住居を兼ねた二世帯住宅に斜めの壁(slash)を空間構成の拠り所にすることで組み立てられています。空間の作法は空間を形づくる建築ヴォキャブラリーがバランスよく、また肌理細やかにデザインされ岡田哲史さんの力量が十分に見て取れる作品でした。ただ、社会にどのように接続され、還元されていくのかが見えにくく気になるところでした。
「屋根の家」はタイトルから示されるように、屋根の上を生活の場にしたいといういささか型破りな建主の発想に対して建築家として、その可能性に真正面から取り組んだ痛快かつ、建築の強さを感じる住宅でした。緩やかに傾斜した屋根は絶妙な距離感でその先の地面と関係を持ち、その下の外に向かってほぼ前面開放され生活の一部が溢れた空間は、私に伝統的な日本の民家の空間を連想させました。こうした手塚貴晴・手塚由比さんと池田昌弘さん達の単純明快な解法が建築の存在を確かなものにし、確実に現代の住まい方に揺さぶりをかけているように思え好感が持てました。
「TN-House」は設計与件を綿密に整理し、その中からローコストで小さいながらも建築的な可能性を見出し、論理的にリアリティを与えていく北山恒さんの設計手法が明快に表現された佳作であり、提出された応募図書にもそうした一貫した思想が読みとれました。ただ、形式的とも見れるその外観と空間の形式性からのシステムによる意識の解放が実際にその場に身を置けなかったことで確かめられず残念でした。
「板橋さざなみ幼稚園ANNEX2」はホールと子育て支援センターが複合した端正な建築です。起伏のある園庭と敷地周辺の美しい里山の風景の中にキュービックな外観に厳選された外壁材で控えめに表現され、また園庭とアプローチのレベル差を利用し二つの異なる機能に上手く答えています。ホール内部は木のフレーム架構が遠藤吉生さんのデザインの見せ場だと思われましたが、架構システムとカーテンウォールの関係が表現として少し気になりました。
みかんぐみの「八代の保育園」は熊本という大らかな地域性と気候・風土が読み込まれた地元の人たちとのワークショップの活動が直接的に反映された将来の用途変更にも対応したプログラムによる建築です。内部の開放的な空間は木製の斜交格子梁システムで実現され、一見ヒエラルキーのない空間構成に見えるのですが、北側に寄せた配置と北側立面の閉鎖的な処理に新しい提案があっても良いのではと思いました。
「森の展望台・トイレ」は青少年野外活動センターの山の頂上と麓というかけ離れた場所にあり、また機能は単一なのですが、木という共通の素材を使いながらその場所に呼応するようにそれぞれ巧みにデザインされています。部分部分に窺える個性的な空間の処理や技術が単一の機能に膨らみを持たせ、もう一つの人工的な森や林をつくっているように思えました。小さな規模の建築が環境を豊かに変えていく手応えと髙砂正弘さんのひたむきな情熱にこれからの可能性を感じました。
講評:平倉 直子
新人賞にふさわしいということは、建築によって時代を反映する「何か」新しい可能性を示し、日常的な仕事を通して特別な理由や興味を育てる力を備える人かを判断の基準にしました。
髙砂正弘氏の森の展望台・トイレ(受賞作)はランドスケープを主体とする中で、名脇役としての小さな建築が光を放ち、こんな建築によって少しづつ環境を変える指標にしたいモノです。山の起伏と配置の関係や、厠を別棟とする民家を想起させるブースの間の取り方に、木造の魅力がいかされ、細部まで丁寧につくられています。遠藤吉生氏の板橋さざなみ幼稚園は、園長のパートナーとしてプログラムを組み直し、既存の施設を改変していく日常的な関わり方があり、田んぼや瓦屋根の田園風景の中で、その違いを示しつつも何気なく見えることで、建築の魅力を地域に伝えています。北山恒氏のTN.HOUSEは予定通り内部審査ができませんでしたが、ローコストに作るための工法の見直しや、与えられた条件に対する的確な答の探求と、知的なセンスを感じる空間の建築です。みかんぐみの八代の保育園はチーム力を活かし、ワークショップで利用者の興味を起こしながら方向を見定めていく方法や、使いながらそこでの過ごし方を発見できる空間の構造に可能性があります。建築、園庭、遊具など総合的に計画を楽しんでもいます。手塚貴晴+由比、池田昌弘氏の屋根の家(受賞作)は、既存の閑静なというと良い意味ですが、眠ったような凡庸ともいえる環境にたいして、ユーモアのセンスでじんわりと、しかしその暮らしぶりや生き方までも鋭く批評する作品です。景観に表われる暮らしがいかに窮屈なものであるかを提示し、建て主の率直な主張に対して、建築家の答えは期待以上に住み手の意欲をかきたて、地域の子供相談室などの活動に繋がっていることに感動です。岡田哲史氏の富士北麓の家は西面の静粛なファサードにただならぬ気配を備え、アプローチから内部の空間のプロポーションや光まで、その質を体験してみる価値があります。計画途中のいくつもの模型によって検討され、緻密に積み上げられた結果生み出された空間です。
現地審査に残った6人による6作品はいずれもたゆまぬ挑戦がみられました。作者の日常の興味が丹念に語られ、建築という姿に置き換えられている様子は、清々しくこれからの可能性を予感させてくれるものでした。粗削りゆえに生々しく訴えるもの、あるいは粛々と自分の世界を見据えつつ内なる空間を構築するものがありました。しかし、さすがに賞にからむということは容易ではなく、コンセプトを支える為の構造、工法、素材などの技術的な押さえに留まらず、人の暮らしや時代のテーマなどへの鋭い嗅覚をもち、また空間に対する経験も必要とされていると思いました。建築は自分のモノではない以上、探検するものであっても、冒険ではありません。従って、どこかが破綻していては建築にはならないのでしょう。
このような建築に審査を通して触れられたことは、かつて新人賞を戴いたことの喜びの再現であったように思います。緊張の中で行われた現地審査でしたが、最終審査では全員一致。拍子抜けするほどすんなりと大役は終わりました。・・・しかし、その後JIAより池田氏が構造家として多くの作品に関わられておられることから、本年度以降、連名の応募は受賞者を含まないということが確認されました。
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