JIA25年賞

第9回 日本建築家協会25年賞 (2009年度)

※ 写真・文章等の転載はご遠慮ください。

 
千石の家 レスタウロ
K-HOUSE ARTS&CRAFTS
設計者: 室伏次郎
(株)スタジオアルテック
建築主: 館林精之介/川手正樹・孝子
施工者: フロム建設(株)
佐藤工業
(二世帯住宅部分改修工事)
(株)岩本組
(ギャラリー部分改修工事)
竣工年: 1982年
所在地: 東京都文京区
講 評:  「住宅とは」とりわけ、そこに住む人の人生と共に存在する時間の経緯が色濃く反映されるものである。この千石の家—レスタウロは、その変化の過程を色濃く写し取り、見事な住宅建築としての内実をあらわしている。25年前に住みはじめた2世帯型住居から、2世帯同居住居とクラフト専門のアート・ギャラリーの複合した環境に変えた姿が現在の使われ方である。基本的には、1階に住居部分のすべてを移し変え、2階を全面的にアート・ギャラリーに開放する構成への変更である。壁構造である当初の基本形は変わることなく、用途の変更に見合った空間にするために、すでに埋め込まれていた構造と空間の関係が連続的に掘り起こされ、設計者の語るように「埋め込まれた建築」を体現している。この住宅の素晴しさは、変化する時間軸に対して、そこに住む人の変化に応え、しかも今という時代の要請に前向きに応えている点である。見事というしかない。
  (審査委員:細田雅春)
   
千石の家 レスタウロK-HOUSE ARTS&CRAFTS竣工時
竣工時  撮影:新建築社写真部

千石の家 レスタウロK-HOUSE ARTS&CRAFTS現在
現在  撮影:新建築社写真部
 
宇宙を望む家
設計者: 椎名 英三
(株)椎名英三建築設計事務所
建築主: 椎名 英三
施工者: イゲタ安渡辺建設株式会社
竣工年: 1984年
所在地: 東京都狛江市
講 評:  「宇宙を望む家」を見るとき、60年代から70年代にかけて日本経済がようやく回復期を脱し、日本の建築が作品性と自己主張を強力に押し出してきた、まさにあの時代の作品と感じます。表情のあるコンクリートの打放し、モダンデザインながらどこか心地よい時代性を感じさせてくれるかすかな装飾性。ぎりぎりの空間をぎりぎりの予算のなかで追求した建築家の思いが、追い込まれた末に花開かせた建築として見事に生き延びている。強引ともいえるあの時代の設計作法、未知の建築領域へと押し出していく設計の力は、歴史の証人といってもいいかもしれない。今見ても建築家に勇気をあたえるものではないでしょうか。
  (審査委員:中原 洋)
   
宇宙を望む家 竣工時
竣工時  撮影:椎名英三

宇宙を望む家 現在
現在  撮影:堀越英嗣
 
田口さんの家
設計者: 菅家 克子
(有)菅家設計室
建築主: 田口政行・恵子
施工者: 三陽設計工務(株)
竣工年: 1983年
所在地: 大阪府四条畷市
講 評:  コンクリート打ち放しは現代の素材、いわば人間がつくった“石”といえるのではないだろうか。石の本質は沈黙である。M.ピカートは「人間の本質は言葉であり、神の本質は沈黙である」と記している。この田口邸にはまさしく沈黙が存在している。
 玄関への太い枕木の段々がコンクリートの打ち放しと相まって、深いポテンシャルを放出している。内玄関は6帖ぐらいはあろうかという広さ、そしてそれがそのまま雑木の庭へと続いている。この雑木のつくらざる荒庭がコンクリート打ち放しのポテンシャルと相まって力強い美しさを見せている。
 居間吹き抜けの室内壁もコンクリート打ち放しである。その上部に描かれているシャガール風の壁画がコンクリートの堅さ、冷たさをやわらげ、異次元的な怪しげな空間を創りだしている。あちこちに置かれた彫刻や置物、壁画の動物たちが、夜な夜な庭やこの空間で踊り狂っているのではないかと久しぶりに心が躍った。
  (審査委員:出江 寛)
   
田口さんの家 竣工時
竣工時

田口さんの家 現在
現在
 
12番坂の家
設計者: 吉村 篤一
(株)建築環境研究所
建築主: 坪田 廣平
施工者: 佐渡建設
竣工年: 1984年
所在地: 兵庫県西宮市
講 評:  施主は相当の建築好きである。デザイナ−としての様々なデザイン活動を通じて、建築設計そのものにも強い関心を抱かれてきたという。そして、この土地の購入を機に“自然とともに暮らす”ことをテ−マにコンセプトを練り上げ、その実現を建築家に託された。つまり「12番坂の家」は施主と建築家とが二人三脚で作り上げたものである。25年の長きにわたり丁寧に使われ続けてきた最大の理由は、作品の完成度もさることながら、何よりも住まいに対する施主の熱い想いであったようだ。竣工時の姿そのままに維持されているだけでなく、施主の知性と感性とによってさらに磨きが掛けられてきたような感すらある。居間の鉄平石の床と赤味を帯びた米松の天井、そして打ち放しコンクリ−トの壁は、時間による仕上げが加えられ独特の風合いを醸し出している。食事室の椅子に座ると、三方に開かれた開口部を通して、周囲の自然と四季折々の変化を感じることができる。“ここが一番好きな場所です”という令夫人の言葉が印象的であった。
  (審査委員:大川三雄)
   
12番坂の家 竣工時
竣工時  撮影:小林憲司

12番坂の家 現在
現在  撮影:市川かおり
 
住友スリーエム本社ビル
設計者: 三栖 邦博
(株)日建設計
建築主: 住友スリーエム(株)
施工者: (株)大林組
竣工年: 1974年
所在地: 東京都世田谷区
講 評:  言わずと知れた日建設計(林昌二、三栖邦博) 1974年当時の代表作である。社会に出て間もなくの私にとって強烈な印象を焼き付けた建築であったことを思い出す。
この頃の日建・林昌二のポーラ、IBM、3Mと続く一連の仕事はケビン・ローチの個性とSOMの組織力とを同時に持った観が有り、多分本人もそのことを意識された組織づくりをされていたのではないかと思う。今回35年の時を経て初めて直に訪れることが出来たのだが、その凛とした姿はいささかも期待を裏切ることはなかった。南北に貫通したフリーなオフィス空間(21M×40M・実質19Mスパン)を持った力強い計画の内部空間は、少なからず古さを感じるところや、設計者に伝わらずに手を入れられたのではないかと思われる部分もあったが、第二期の増築とのつながりのガラスボックス処理などを含め、長く時を経て積み重ねる努力の跡を見させていただいたように思う。
  (審査委員:横河 健)
   
住友スリーエム本社ビル竣工時
竣工時



住友スリーエム本社ビル現在
現在
 
資生堂アートハウス
設計者: 谷口吉生・高宮真介
(株)計画・設計工房  
建築主: (株)資生堂
施工者: フジタ工業(株)
竣工年: 1978年
所在地: 静岡県掛川市
講 評:  資生堂は、1919年に『資生堂ギャラリー』を銀座に開設して以来、メセナとして、多くの芸術文化活動を支援してきた。その一環として、1978年に資生堂の広大な工場敷地の一角を利用して建設されたものである。静岡県掛川市に造られたこの建築は、新幹線の車窓からも良く見え、その芸術的美しさは、周辺の緑豊かな開かれた環境とあいまって、印象深い景観を造っていた。現在に至っても、その美しさはいまだ衰えることはない。曲線(円)と直線(角)の二つのシンプルな構成によって、ランドスケーピングされた全体像は、その内外部空間の連像的一体性を通し、素材的選択にも明確に現れている。外観のシルバーメタリックの磁器質タイル、熱選反射ガラス、そしてステンレス目地を用い、凹凸のない平滑面で仕上げられたそれは、極めてコンセプチュアルな抽象性の高い現代建築を現在に伝えている。メンテナンスへの配慮も格別である。
  (審査委員:細田雅春)
   
資生堂アートハウス竣工時
竣工時  撮影:新建築社写真部

資生堂アートハウス現在
現在  撮影:荒井政夫
 
土門拳記念館
設計者: 谷口吉生
(株)谷口建築設計研究所 
建築主: 山形県酒田市
施工者: 間組 平尾工務店共同企業体
竣工年: 1983年
所在地: 山形県酒田市
講 評:  酒田市飯森山公園内の中心施設として創られた土門拳記念館は、26年を経ているにも関わらず、時間の経過を感じさせません。審査員(出江会長、細田氏)一同その美しさ保存の良さに感動致しました。この建築について設計者の谷口氏は「敷地周辺の美しい自然と建築のかかわりを設計の第一の拠り所にする」と述べていますが、その意図は充分果たされ、白鳥池に接して佇む記念館は、坂田市民にとって掛替えの無い財産になっていると思います。又、「過剰な意匠は避ける」とも氏は述べていますが、正方形が重層する外観は、格調高く気品すら感じさせます。
 竣工後、収蔵庫の増築とトイレ廻りの改修が行われ、現在は外部の打ち放し部分の改修工事が行われています。これまでも酒田市によりメンテナンスのための予算が計上され、竣工時の美しさが保たれています。今後も市民の努力によってこの記念館が美しく保たれ、市民に愛され続けることを願ってやみません。
  (審査委員:和田正樹)
   
土門拳記念館 竣工時
竣工時  撮影:彰国社 

土門拳記念館 現在
現在  撮影:コマツコーポレーション
 
弘前市斎場
設計者: 前川 國男
(株)前川建築設計事務所
建築主: 青森県弘前市
施工者: (株)中谷建設
竣工年: 1983年
所在地: 青森県弘前市
講 評:  弘前での最後の作品となった斎場には、前川國男の晩年の建築への想いが凝縮されている。敷地は33の寺院が並ぶ茂森禅林街の最奥部にあり、後方の岩木山に抱かれるように、こんもりとした杉木立に囲まれて建つ。火葬炉棟と待合棟を分けて渡り廊下でつないだ構成は、近代建築の定石通りであるが、大きな傾斜屋根や打ち込みタイルの外壁、石材や焼物といった自然素材の採用など、いわゆる近代建築のヴォキャブラリ−からは逸脱している。しかし“悲しみを癒すのは自然である”というコンセプトに基づき、全体計画から細部にいたる手堅い手法が展開され、建築と自然とが溶け合った成熟した風景が形成されており、抑制された照明と本物の質感をもつ材料から生まれる重厚で静謐な内部空間は、静かに死者を送るに相応しい。25年の歳月にもかかわらず変わらぬ佇まいが維持されているのは、寒冷地での多くの事例を通じて練り上げられてきた所謂“弘前ディテ−ル”の存在と適切な管理体制の賜物であろう。さらに行政と建築家の信頼関係を支えているのは、弘前市民の前川建築への強い想いである。
  (審査委員:大川三雄)
   
弘前市斎場 竣工時
竣工時  撮影:村井修



弘前市斎場 現在
現在  撮影:吉村行雄
 
岩手県立博物館
設計者: 西村 明男
(株)佐藤武夫設計事務所
(現・(株)佐藤総合計画)
建築主: 岩手県
施工者: 鹿島建設(株)
竣工年: 1980年
所在地: 岩手県盛岡市
講 評:  丘を登って行くと・・・ブルータルな力強いい構造の骨格とともにキラキラ輝いた外壁のタイルが印象的である。
 近づいて見ても、リブ付きの大型特焼きタイルと呼ばれる変型タイルで覆われた外壁はコンクリート打設時に打ち込まれたと聞くが、打ち継ぎの目地の違いもなく一様な姿が美しい。長大スパンの正面架構の下にあるエントランスキャノピーの腐食が気になるものの、内部に待ち構える緩やかな大きな階段は気持ち良く展示館の序章を作り出していた。そこには竣工当時にはなかった恐竜の骨格模型が展示されていたが、いささかも狭さを感じない。キャノピー以外で気になったことで云えば、外部に開ける美術展示が閉じられ、施設の大きさに対する中身の予算の不足が原因していると思われることである。当日岩手山を臨むことは出来なかったが、計画の全貌は良く理解できた。
  (審査委員:横河 健)
   
岩手県立博物館 竣工時
竣工時



岩手県立博物館 現在
現在
 
石原なち子記念体育館
設計者: 長島 孝一
(株)AUR建築都市研究コンサルタント
建築主: 山梨市役所
施工者: 白石建設(株)
竣工年: 1980年
所在地: 山梨県山梨市
講 評:  坂道を上って来ると、あたかも雲がもこもこと立ち上がって来たように見える。背景の山なみと溶け合い、コンクリート打ち放しの持つ堅さや冷たさを優しく温かなイメージに変えていて親しみがもてる。
 この建築は機能的空間、構造的空間の分離やそれぞれのエレメントの分離、つまり「間合い」のとりかたが上手い。
体育室と更衣室、洗面室との間を明るい中庭とし、曲面にした外壁を空色に塗り雲のイメージとつなげているのが面白い。構造体である軽い鉄骨屋根と重いコンクリート壁に間に、欄間(間合い)を置くことで力が抜け切れ味のよいデザインとなっている。
 また2本のH鋼を1組として、16φのジグザグ筋でラチスを組んだ母屋はレースのように見え、軽い美しさを出している。体育室とギャラリーを切る丸柱と、その上部の放射状の支柱もリズムカルで美しい。
 木村俊彦氏の構造計画とのコラボレーションを高く評価したい。
  (審査委員:出江 寛)
   
石原なち子記念体育館 竣工時
竣工時  撮影:新建築社写真部



石原なち子記念体育館 現在
現在  撮影:フジタマン写真事務所 山野建治
 
美しヶ丘の家
設計者: 阿部 勤
(株)アルテック
建築主: 平林 英一
施工者: (株)横溝工務店
竣工年: 1983年
所在地: 神奈川県横浜市
講 評:  現代建築は明晰なモダンデザインの論理のうえにあると信じています。が、「美しが丘の家」にはそうした論理を了解としながら不思議なはみ出しを見せている。「設計の整合性」を「否定」しているかのような振る舞いをそこここに見ることができる。幅45センチあるかなしかの地下へ向かう無理無理の階段、地下のアトリエを見下ろす視線の位置も不思議です。なのに空間全体をはぐくむ温かさ論理を超えている。1階の家族を抱擁するような空間、2階の空へ向かって開かれたようなスペース、そして一人ひとりの子どもたちの注文を聞いてつくられた個室の連なりには、まさに空間の喜びがある。新鮮な幸せ感だ。熟達の建築家の強烈な個性、阿部勤そのものが感じられる。施主の暮らしぶりもまたこの建築の魅力を知り尽くしているとみえる。
  (審査委員:中原 洋)
   
美しヶ丘の家 竣工時
竣工時  撮影:小林浩志/スパイラル



美しヶ丘の家 現在
現在  撮影:藤塚光政
 
福岡銀行本店
設計者: 黒川 紀章
(株)黒川紀章建築都市設計事務所
建築主: (株)福岡銀行
施工者: (株)竹中工務店
竣工年: 1975年
所在地: 福岡県福岡市
講 評:  福岡銀行本店は故黒川紀章氏の代表的な作品として、1975年の竣工から35年が経過しています。その後、故黒川氏は福岡県庁舎も手がけられています。ともにグレーの外観で当時故黒川氏が言われていた“利休ねずみ”のイメージカラーで仕上げられています。
 福岡銀行本店は福岡市の一等地に位置し、シンプルでどっしりとし、時代の流れに関係なしに福岡市中心部の顔として市民に親しまれています。敷地の約1/3を占める外部吹き抜けの広場は市民に開放され、12月にはクリスマスのツリーが置かれ名物広場となります。又、5月にどんたく広場としても使われています。昨年、事務系社屋が別の場所に新築されましたがこの建物は福岡銀行の本店として残ることになっています。地階にある700席のホールは市民に開放されており、クラシックのコンサートや講演等に利用されています。内装壁は米松ブロックを曲面に張り詰めた意匠となっており、このホールの臨場感を高めています。又、ホール入り口のロビーの壁材に用いられているテラゾーの種石には輝きのある石が使われていて、見るたびにいつもあでやかで気品を感じます。
 福岡銀行本店は第1回福岡市都市景観賞にも選ばれ、福岡での名建築です。今後、福岡銀行の御理解のもと、メンテナンスを十分やっていただき、長く都心の一等地にこの建物が残ることを一市民として願っています。
  (審査委員:和田正樹)
   
福岡銀行本店 竣工時
竣工時  撮影:大橋富夫



福岡銀行本店 現在
現在