第5回日本建築家協会25年賞

■ 講 評

外部審査員 井尻千男

 今回の大賞選考はきわめて短時間で受賞作品が決定してしまった。「しまった」というのは特段の不満があるからそう言うのではなく、どこがどのように良いのかについてもっと議論してみたかった、というほどの意味である。
 たまたま今回は候補作品の中にカトリック教会が2作品並んだ。「聖クララ修道院」(片岡献設計)と「カトリック新発田教会」(A.レーモンド設計)である。こういう偶然はめったにあるものではないし、わが国においては少数派のカトリック教会だったというところが面白い。プロテスタントだった内村鑑三が「無教会」派を説いたことと関係があるのかどうか。
 沖縄の小高い丘の上に建つ「聖クララ修道院」に近づいたとき、私はアッシジ(中部イタリア)を訪れたときに見た「聖フランシスコ教会」とよく似ているなと思った。地形も建物の形も。一般論としては「似ている」ということがマイナスの評価になるが、教会に限っていえばマイナスではなく、むしろプラスだ。同じ宗派の信徒が本山を偲びつつ、似た地形を探し、似た形の教会を建てたというのだから、すごくまっとうなことだ。うるわしいことと言うべきである。
 私は遠景としてみたとき、「これだな」と思ったのだが、内部に入ってしばらくすると何か物足りなさを感じ始めた。一言でいえば、建築としての密度に関する不満だった。
 モダニズム建築が宗教的建築物でしばしば失敗するのは、その密度においてである。もう一つは「光と闇」の按配だろう。
 「カトリック新発田教会」は外観からは想像できないほどに丸太をふんだんに使用している。その丸太を組み合わせる大工の技術も見事なものだった。それに1960年代の作というのに、レーモンドがひそかに反時代的試みを意図しているな、と思えるところが興味深かった。壁面はすべてレンガ。つまり丸太とレンガという最も古い建材にして、かつ最も普遍的建材によって教会を建立したことの意味だ。そのとき、レーモンドはたくさんのことを考えただろうが、最も重視したことが教会に必須の「密度」だったに違いないのである。人間は、光を求めると同時に闇をも求めている、というような人間観だ。
 地方都市の小さな教会だが、随所に工夫が凝らされていた。それに雪深い土地柄にもかかわらず立派に保守されていた。
 「聖クララ修道院」は清楚で好ましかったけれども、結局、工夫と密度において勝る「新発田カトリック教会」を推すことにした。
 「愛知県緑化センター・本館」がいくつかの新しい試みをしており、評価すべき点も多々あったが、私はその造形的な美しさで今なお際立っている「駒沢オリンピック公園総合運動場体育館管制塔」を推すことにした。

審査員 小倉善明

 大賞を受賞したカトリック新発田教会は,設計を担当したA.レイモンドの木造建築の特徴が良く出ている作品である。ノエミ夫人の共力による家具や燭台,そして窓の張り紙模様も小さなこの教会の一体感の強い空間の重要な要素となっている。内陣を構成する6本の杉丸太の小屋組みは、この建築の一番大きな視覚的要素となっているが,レイモンドのデザインとわが国の和風小屋組みに培われた大工の技術力があってこそ可能になったものである。アメリカ本国では出来なかった日本での大工との共同作業に、多分レイモンドは喜びと感激を感じたろう。築後40年を経て,建築はすばらしい状況で維持されており信者や建設を担当した施工者が如何にこの建築を愛し,誇りにしているかが分かる。ただ、前面道路の拡張計画が、建設当時の計画よりも内側にあり、建物ぎりぎりにまで道路が迫るものであるのが気がかりである。計画が立てられたときと現在の交通事情は変わっている。発注者と話をして計画の一部見直しなど状況を改善することが出来るのではないか。
 駒沢オリンピック公園総合運動場体育館及び管制塔は1964年東京オリンピックの競技場として建設され40年を経ている。この間、周辺はより高密度の宅地化が進み、普段から多くの人が散策のためにこの公園を訪れる。体育館は原型を忠実に保存しながら10年前に改修をした。したがって,建築は昔と変わらないたたずまいを見せている。一方、周辺の木々は大きくなり、これがかえって40年前の建築の良さを強く感じさせる。プロポーションの良い美しさを見せるシンボルタワーと共に,公園全体が新しい憩いの場として生まれ変わった感が強い。変わった部分,変わらない部分を含めて,時代の経過と共に価値をもちつづけているのは,建築の持つ力によるものであると思う。
 選にはもれたが,印象に残った建築は沖縄の「聖クララ修道院」であった。1958年に沖縄の海を一望する丘の上に建築された。設計は、在日米陸軍技術部隊建設部に勤務していた京都出身の片岡献氏による。当時、世界的に活躍していたアメリカのSOM極東地区の指導を仰ぎながら設計したようであるが,修道院と礼拝堂をつなぐ回廊と中庭のプロポーションや,スケールが心地よい。沖縄の戦後初期のコンクリート建築としても意味があるし,礼拝堂から臨む海の景色と,海から吹き付ける風を室内の入れるスチールサッシュのディテールなど素朴ではあるが,人をひきつける建築である。

審査員 阪田誠造

 各支部で25年賞作品選定後の第1次審査会で、「JIA25年賞」作品の報告と承認が行われ、住宅部門25年賞は、建築家の自邸が殆どの中、東海支部選出住宅の、常識を打ち壊すゲリラ作品を回り、賞に適するかの激論が交わされ、混乱と誤解を怖れた私は発言を控え、密かに実物を見たい想いと、JIA25年賞作品がJIA会員に建築とは何か、建築の存続意味や価値を問う上で、25年賞にこの家を選んだ勇気と問題提起に共感する想いもあり、支部25年賞中異色の家が除外されず良かったと、今後の議論の発展を期待したいと思いました。
 現地の実態調査と、関係者からヒアリングを行う第2次審査の対象は、一般建築部門5作品に絞られ、住宅作品は審査委員の誰からも挙げられませんでした。
 建築の永年存続の意味や価値を、25年賞大賞候補の建築実態の隅々から、見る者の身心に響く、その感動や刺激、或いは齟齬を、現地の第2次審査では鮮明に感じ分け、第3次審査で「カトリック新発田教会」「駒沢オリンピック公園総合運動場体育館 管制塔」のJIA25年賞大賞選定が3委員一致で決めました。
 「カトリック新発田教会」は、A.レイモンドの親友である司祭神父が、新教会堂の設計をレイモンドに特命依頼して創られ、レイモンド夫妻の創意と工夫が各部に見出せる、市中心近くの静かな環境に清楚な緊張感を発散する、今なお美しいキリスト教教会堂では、身心に深く響く魅力ある空間の健在に、感動しました。
 現司祭と信徒幹部、実際の工事を担当、その後の管理や補修に携ってきた、現在は建設会社社長を含め、創建時の工事の様子やその後の労苦を楽しげに語る、この人たちの存在が、建築を美しく支えてきたことを実感できました。
 創建時の街路計画位置を避けた配置を無視し、さらに教会堂に接近する広い幅員の県道を、静かな住宅地の中に貫通させる計画が強行されようとしており、陳情しても聞いて貰えないとか、その支援にJIA25年賞大賞がこの建築に必要と思いました。
 また、カトリック第2ヴァチカン公会議改革後の、日本における最初のカトリック教会としてこの教会が1965年に創られ、レイモンド自身が熱心に取り組む動機があったのではないか、今後の研究を待たねばなりませんが、創られた時期、変わっていないプランや構成が、改革前教会との明確な差異が見出せるのには驚きました。
 駒沢オリンピック公園体育館内と管制塔回りを久し振りに間近く時間をかけて歩き回り、40年を経た公園の都市環境魅力の増大に加え、コンクリートの芯に鉄骨を加えるなど、永年の建築の存続に配慮した先見性や、都市環境と緑豊かな公園と建築の景観の熟成が見事で、景観の重要性を終生説き続けた芦原義信先生の言行一致の成果は、JIA25年賞大賞に相応しいと推挙しました。