第4回日本建築家協会25年賞

■ 講 評

外部審査員 井尻千男

 「山に隠れ住む」とでもいうのであろうか、石井修という表札がなければ、そこに住宅があることに気づかない。道路沿いの門扉から急坂を下って玄関、その玄関棟の屋根は緑の雑草、その棟から階段を下ると居間に至るのだが、その中間に採光をかねた坪庭がある。きつい傾斜地ゆえに道路から居間の屋根を確認することができない。それに左右が自然林だから、建築自体が隠されているという趣になる。
 石井氏がその西宮の自宅を設計するに当たって考えたことは何か。今風に解釈すれば、エコロジーとの調和ということになるだろうが、1976年竣工という年代から察するに、事情はもっと複雑だったはずだ。近代建築の自己主張、存在感の誇示に対する懐疑と反発、あるいは憎悪と自己否定、文字でいえばアンチ・ロマンやアンチ・テアトルに通じる脱構築の精神なのではないか。私は石井邸の薄暗い部屋でそういうことを感じ、考えた。それが後にエコロジカルな発想と見事に共鳴したというわけである。その時代に出会った幸運も含めて私はこれを第一に推すことにした。
 札幌の上遠野邸はまことに明解、率直にして素直、けれんみなく清潔だった。
 敷地を囲む高い生け垣の天井を揃えて刈り込み小宇宙をつくり出しており、その内側に不明瞭なものは何一つない。
 構造は鉄骨、外壁は全面レンガ、色調の異なるレンガを上手に組み合わせて壁面に変化を与えている。すべてが水平と垂直の線で構成されており、そのことが外観の抽象性を決定的にしており、私の脳裡に「20世紀建築の優等生」というフレーズが浮かんだ。と同時に土性が気になって尋ねると、上遠野徹氏は鉄骨は室蘭、レンガは札幌、内装の木材はすべて北海道産と答えた。その樹種は10種類ほどに及んでいる。
 スタイルは徹底的にユニバーサル、素材はすべてローカル。1階は洋間、2階は和室。茶の湯を楽しめるように水屋がしつらえてある。それらの二面性が、北海道の近代を象徴しているように思えて、これを推すことにした。
 高知市郊外の山深い地に建つ山本長水氏の山荘は、その屋根が「かたつむり」状になっている。面白さからいえば無類のものだが、それだけに1回限りの道楽という感を否めない。
 公共建造物については、神奈川県民ホールと埼玉県立博物館が選考の対象になったが、諸般の事情があって今後の検討に待つことにした。

審査員 大宇根弘司

 建築が末永く使われ、大事にされるのには2つの要件が必要です。1つは技術的にしっかりした裏付けのあること、もう1つは人の心を捉えて放さない魅力を持っていることです。
 上遠野邸は札幌の市街地を少し外れた平坦な土地にあります。高張力鋼のフレームとその間を埋めるレンガ壁とから構成されています。高張力鋼は26年経って実に良い具合に錆びています。レンガは野幌の石炭窯の最後の製品とのこと、塩釉がかかった実に良い赤レンガです。南側に大きくテラス戸が開いていますが、定法どおり程よく内に下げて中を守っています。外壁の断熱も丁寧ですが開口部はサッシ、タイコ張りの障子、めくら戸とよく配慮されています。内装も地元北海道産の材木を中心に素朴で、落ち着いています。敷地周辺のニヲイヒバもこのお宅にふさわしく、良い香りがしていました。当たり前の材料できちんと仕事をしていて、26年経ってもしっかりしていて、加齢の美しさを覚えます。そして何よりも建築が上遠野さんの御人柄そのままをしっかり表現していて魅力的で、建築は人を映すことをしみじみ感じました。ただ1つ、屋根のディテールは本当にあれで大丈夫でしょうか。
 目神山の家は所番地を頼りに行ったのですが、タクシーを降りても家がすぐには見つからない、そんなたゝずまいです。表札もこじんまりしていて見落としがちで、お宅はそこから石段を下りて訪ねます。雑木林にすっぽり包まれて、並の別荘地では味わえない良い立地です。お宅は丸太を組んでその上に山の傾斜に合わせた片流れの屋根が深々と庇を出してかけられています。ガラス窓が大きいのですが庇が深いことと木々が迫っていることで中はほの暗く、そのことで外の緑がとても美しいのが印象的です。御子息一家の住むコンクリート打放しの別棟があります。こちらも斜面に上手に半埋め込みになっていて、屋根は草がぼうぼうに茂っていて、環境に溶け込んでいます。このお宅も当たり前の材料を用いて、しかも土地の持つコンテクストを読み切って、これ以外にない有様で建っています。ここでも石井さんの御人柄がしみじみ感じられて、建築づくりの恐さを思い知らされました。ただ1つ草屋根の防水の納りはどうなっているのでしょうか。
「かたつむりの家」も面白かったし、山本さんの御人柄がよく感じられ、賞に値すると思いました。しかし、あまりに特殊解だということ、山本さんの仕事はこれからも間違いなく候補になるだろうことを思うと今回は遠慮してもらったということです。神奈川県民ホールは外観の表と裏の落差が大きいこと、建設コストが安かったのであろうことがそのまま形に表われていて残念に思いました。埼玉県立博物館は間違いなく前川國男の傑作であることを再確認しました。しかし、打放しコンクリートの傷みが放置されていたり、一部の修繕もなおざりであること、打込みタイルの色合わせ(と聞いている)のペンキが何とも侘しいことが気になりました。

審査員 林 昌二

「かたつむり山荘」をなぜ推したか

 私は「かたつむり山荘」を推しました。他のお二人は、これは「山持ちのお道楽」だとして、大賞にはふさわしくないとされました。2対1でしたので、最後はお二人の結論に同意したものの、私としては「かたつむり」に「時代的先駆性」(選考内規)を感じていました。
 2つの視点からです。1つは「地産地消」。すぐ近くで採れた木材で作った家を、20年経って移築してさらに10年、これから使いこんでゆこうという「かたつむり」は、省資源・省エネルギーの典型です。日本の林産資源は、既に十分な建築用材を供給できる状態になっていて、国産材を積極的に利用・再生させてゆくことが、国土保全の上からも望まれているのに、市場原理は、輸入材依存から抜け出す道を塞いでいます。建築家としてどう行動し、提案すべきかが、問われています。
 いま一つは、「過剰精度の否定」。工業化社会は精度の美学をつくり上げ、木製型枠の打ち放しでさえ、ミリ単位の精度を誇るに至り、ついに建築全体にツルツルピカピカが及びました。ここには高品質の工業製品で成功した現代日本の価値観が転写されていますが、建築物には元来そんな精度は必要がありません。壁や天井はデコボコでも暮らせるのです。精度を誇る日本で、過剰精度の否定モデルを提案した先駆性は貴重です。

 私たち3名に与えられた課題は、第1次審査を経た作品5件(埼玉県立博物館、神奈川県民ホール、上遠野邸、目神山の家、かたつむり山荘)につき、現地訪問を含めて審査を行い、1件を選び出すことでした。審査の時期に先約の都合が重なってしまい、どうしても訪問できない先が残ったのは申し訳ないことでした。しかし「埼玉」と「神奈川」は、しばらく前に別の目的で訪問し、詳しく説明を受けていましたし、「上遠野邸」と「目神山」は、建築家のお人柄にも作品にも接していました。ただ、山本長水さんの「かたつむり山荘」だけは、ぜひとも現地を訪れなければ理解できそうにないと感じていたところ、幸い訪れる機会を得ました。この山荘は結局大賞の対象にはならずに終わりましたので、私がなぜ「かたつむり」にこだわったのか、理由を記してご参考に供した次第です。