第3回日本建築家協会25年賞
講 評

阪田誠造

 日本の新しい建築は、世界にヒケを取らないが、建築を造った後の状態は、恥ずかしいものが多い。諸外国を訪ね見回る度に、年月を経た建築が驚くほどよい状態で、長く使われているのを見出すが、その裏返しに日本の惨状を改めて思う。傷んだままでの放置、空間や意匠を顧みない建築の改変や増築、美を踏みにじる貼り紙とモノの氾濫等。建築文化の無視や軽視、勝手気ままな建築の使用例は、一般的とさえいえる。この社会的風土ゆえに、建築家協会25年賞の選定は重要で、社会に注目される建築の顕彰が望まれる。
 審査は初めてのJIA25年賞・第3回審査は、当初選考の建築が少なく、支部からの追加を求め2年越しになった。選考規定の条件に合った13件を対象に、審査過程で建築の存続について考えさせられた。個建て住宅と集合住宅の経年評価、改変が必要となる用途と変える必要がない用途の経年比較、建物だけでよいのか、環境への功績や影響を含めるべきか。対象期間(古いために)の関係で選考から除外された建築もある。25年という年数に拘り過ぎても、この建築賞の社会的意義を弱めないかという疑問も感じた。残念ながらここでそれらを論じる余裕はない。
 第2次審査で6件の建築を実際に見た。物理的に当初の建築をよく維持し使われていても、全体のバランスが悪かったり、施設運営の工夫が乏しく旧態依然で利用が少ない建築は、余り生き生きと見えなかった。建築存続の課題は、第一に劣化の修復であるが、当初の建築を文化的にも重視し、生き生きと使う努力(運営エネルギーの補給)が必要である。その点、建築家の自邸は魅力的に今も生き生きと使われていたが、敷地に隣接する同じ設計者の事務所の建築に、住宅との大きい違和感があった。
 最終段階に残った「桜台コートビレジ」は、25年以上経過した集合住宅として、敷地内の樹木が見事に成長し、竣工時よりも魅力が増したと思われた。長く居住し続けている住人は僅かというが、現在も全体に住まい方が良く、管理が良く、入れ替わり(売買)もスムースと聞く。集合住宅の存続として、高い評価を与えられる建築である。残念ながら、25年賞は一つに絞らなければならないために、受賞に至らなかった。
 「代官山ヒルサイドテラス」は、広大な敷地と豊富な樹木の環境的魅力等、何一つ障害がない恵まれた条件の建築と思われるが、当初住居専用地域の条件下、先取り的設計の法確認を得るのもたいへんだったという。最初から全てを計画したのでもなく、第1期の建築だけを考えて造ったのでもない。稀有の建築主を得た建築家が、敷地の将来を構想した建築と空間の提案を、30年以上前の建築づくりに織り込み、その後首都の魅力的なマチの核に、計画・建築づくりを成長させ、周辺一廓を発展させた功績は大であり、建築家協会の25年賞として意義深い、建築の存在と発展を具体的に提示する。単体の建築に併せて、計画の継続と成長は、構想スタート時の住宅地景観を、30年以上経た現在、期待以上の魅力あるマチの空間に転換させたと思われる。この建築群と都市空間の存在は、建築存続の時間的意味を、新たに建築の設計者に問うと思われる。施設運営や、建築の維持管理にも、建築の実用性にとどまらず、常に文化性に深い配慮をもち、公共施設も及ばない、全てにわたって良きバランスの確立にたち向かってきた、建築主と建築家のチームワークは特筆に値すると思われ、審査員全員一致のもとに賞の決定をみた。