日本建築家協会(JIA)は建築家が集う公益社団法人です。
豊かな暮らし、価値ある環境、美しい国をデザインします。
JIAでは、すぐれた建築作品を顕彰し、建築文化のすばらしさや価値を社会に発信しています。
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総評
最近、アジスアベバとニューヨークへ同時期に出張に出かける機会があった。ニューヨークでは、食事、ホテル代、さまざまな物価の違いに驚いた。住居の家賃も日本の10倍ほど差があるタワーマンションがマンハッタンに次々と建設されていた。そしてつまらない日本の画一的なタワーマンションとは違い、様々な奇抜なデザインは、いくらお金をかけても投資回収可能という欲望の街を象徴していた。建築の面白さに感嘆すると同時に、お金が全ていう経済原理やイデオロギーは常にインフレ成長しつづけ、人種の坩堝の多様性は格差を産み、金持ちがまた新たな建築を作っていく都市を目の当たりにした。 一方でアジスアベバのメルカートという野外市場に行った。ここは現地の人に案内された、命以外はなんでも揃うという場所だ。世界中から集まった(ゴミのようにしか見えない)廃品巨大市場は、想像を絶する光景と匂いと埃だった。RCから解体された鉄筋や鉄屑、アルミ、銅、電線、日本製の工作機械(これらも販売している)でドラム缶を切り、溶接して鍋を作り、世界の人が使った大量のスニーカーの山は売るために洗濯をしている。コンピューターから、使い古された服やベルト、プラスチック容器、ゴム、木片、トタン、食べ残し、なんでもあるが新品は殆どない。世界の大量消費の行き着く先がここにある。エチオピアの人々がその場で廃品から器用になんでも新たなに物を作る姿はある意味究極のサーキュラーエコノミーとも言える。しかし私たちのモノが豊かさの象徴であるイデオロギーはメルカートでは別解釈されて新たな価値やエネルギーそのものとして存在している。そういえば人類が発見するエネルギーという魔法の小槌も、産業革命以降何度も環境を壊してきた。夢の石炭は大気汚染を産み、石油から生まれたナイロンは海洋プラスチックやCO2を産み、原子力は核汚染を産んだ。夢の資源の発見は常に環境破壊を生んできた。 地球規模の環境変化は、増加した人間の欲求を満たすために生きている結果である。人間が動物から進化した時から(動物と変わりないかもしれないが)実は何も変わっていない。新しい環境資源であり、新たなイデオロギーである生成AIが10年後には人間の10倍の知能を持ったとき、そして経済原理や成長原理、生産方法の最適化を人間に代わって判断する社会が生まれたときに、未来は良い方向に変わっていくかもしれないし、建築の終わりを生む結果にもなるかもしれない。彼ら(A I)にとって人間が猿以下に見える風景の中で、その人類が創り出す建築をどう判断するのだろう。人類の進化の過程において次の成長ができるのだろうか?本当の意味で、人間そのものと建築のあり方、環境の意味を考え直さないといけない。そんな支離滅裂なことを考えたニューヨークとアジスアベバだった。
環境建築賞の募集は7月3日から開始し8月30日に締め切られた。23点の応募があり、9月15日に一次審査が行われた。一次審査の結果9作品が選ばれ、現地審査を行った。 応募作品は、改修、素材、戸建て、集合住宅から、再開発まで多岐に渡った。特に木材への有効利用のアプローチが増えた。現地審査対象を選定する際においても、プログラムや木材への取り組みという意味では同じだが、プロジェクト毎に違う視座や技術が結果として多様性を生み、全面展開的で緻密な建築を選ぶことが難しいと感じさせられる結果となった。
公開2次審査もまた、今までで一番難しいと感じた。それぞれの取り組みが多様でありながらも、想像以上の深度と解像度で検討されており、簡単に環境という言葉では評価できない、環境という言葉を再解釈しないといけないプロジェクトが多かった。審査する側が応募書類の紙面だけでは理解できず、全体像を掴み切れないという感覚もあった。「私」による一点突破、全面展開的なコンセプチャルな概念を提示するというより、丁寧にクライアントや生産者から話を聞き、愚直に課題と向き合い、全方向から作っていくことによってのみ、環境建築は出来上がっていくのだ、と強く感じた。環境建築とは「私たち」の建築なのだ。「私」から「私たち」へ拡張された場や建築のデザインは社会を作っていく可能性に満ち溢れている。 そのような中、審査員のキャラクターや思想もさまざまであったことが、とても良かったと思っている。様々な視点をもち、各作品の一つ一つの深みと解像度を理解しようとする努力と議論ができたのではないかと思う。そして審査の限界というだけでなく、建築家が環境という言葉において考えうる方向性や答えも様々に変化している結果だと思う。それはそれでいいことである。
第4回目のJIA環境大賞は「神山町・大埜地の集合住宅」が受賞した。この建築群は新たな社会資本と暮らし方を提案している。衰退する地方において、持続的に住み続けられる住まいを作りたいと考えた設計者、行政、公社、施工者、地域の人々により、長い時間を掛けてこの場が作られた。建築家はもちろんのこと、神山つなぐ公社の存在や、ランドスケープアーキテクトの存在も大きい。この場所において、大工さん、どんぐり、鮎喰川、子供達、今、神山町にある当たり前のものが繋がるだけで、それらがむしろ当たり前だった風景の素晴らしさとして再認識された。地元出身者だけでなく、移り住んできた人、老若男女がつながっていくことで完成される。人と人が繋がるきっかけや歓びの循環を作っていける人をつくること。ここからデザインされたことが素晴らしいし、一過性になって欲しくないと思う。「私たち」によって作られた関係性は今後熟成して、100年後にこの場所がどう変化していくかによって、真に評価されるであろう。
優秀作品として、GOOD CYCLE BUILDING001浅沼組名古屋支店改修PJと、森と人の輪立田山憩いの森・お祭り広場公衆トイレ、あざみ野の土、ミュージアムタワー京橋が選ばれた。GOOD CYCLE BUILDING001浅沼組名古屋支店改修PJは中規模のストックを最大限活かすため取り組んだ意欲的な改修建築である。新築に比べて大幅なライフサイクルカーボンの低減はもちろん、アップサイクルや、環境負荷低減のデータエビデンス、きめ細やかなデザインと施工が随所に見られると評価された。と同時に私自身の最大の評価はファサードであり、豊かな緑と外部空間によって都市景観を作ったことである。こんなことは普通できない。
森と人の輪立田山憩いの森・お祭り広場公衆トイレは、小さなプロジェクトであっても、そのささやかな庇のデザインによって、豊かな人間環境が生まれる可能性を提示できている。そして木材を決して無駄にしないさまざまな創意工夫によって、豊かな森の中に溶け込んでいる。設計者の強い意思により、組織設計事務所という枠と制度を超えて、小さい活動で作り上げていこうとする姿勢が評価された。この若い建築家は全てを超えてこれからも頑張ってほしい。
あざみ野の土は、土から生まれる湿度感と空気感が独特であり、全身体で心地よいというのが現地審査を行った審査員の一致した意見であった。素材である土が新たな建材としての可能性を感じさせた。そして、土は昔から使われる建材だが、生産と施工の方法を考えることで、可能性を広げている。それら実験的な取り組みが環境性能の価値を創り出すきっかけにもなり得るとして評価された。土は無限大の可能性があることを気がつかせてくれた。
大規模再開発であるミュージアムタワー京橋は、再開発の一つの到達点でもある。理想を掲げても、巨大悪や経済性優先による薄く均質な建築や運用デザインの未熟さ、縦割りのプロセスによって批判的に語られるプロジェクトが多い中、この作品には小さな住宅建築のような濃密な思想とディテールと感動が繰り広げられている。手法と作法は目新しいということではないが、街とアートと人と環境を繋げるために、時間と巨大組織体の中で格闘しながら、設計者という「私」という個性が、長い時間を経て「私たち」になって、そして最後にまた設計者の「私」にのしかかってくる。それらをやりきり統合させていった、その凄みと深さが評価された。今後の再開発のあり方がこのプロジェクトを境に変わっていくだろう。
私にとっては今年が最後の審査であり、数年を通しても劇的に環境建築の考え方や変化が激しく、ついていくのがやっとだったと思う。それは、環境という意味の拡張もそうだが、一つの環境建築が建築家によって見出されると同時に都市に内在化されていくからである。内在化のプロセスが正しいのか正しくないのかわからないまま、建築はその土地に存在し続ける。そして何が上位概念なのか、それをAIと人間のどちらが先に判断するかによって未来は変わる。私たちがイニシアチブを取るために、猿になる前に進化しないといけない。経済優先(A I)か環境優先(命)か早く覚悟を決められるかどうかである。
小堀哲夫
第24回 2023年度 JIA 環境建築賞
最近、アジスアベバとニューヨークへ同時期に出張に出かける機会があった。ニューヨークでは、食事、ホテル代、さまざまな物価の違いに驚いた。住居の家賃も日本の10倍ほど差があるタワーマンションがマンハッタンに次々と建設されていた。そしてつまらない日本の画一的なタワーマンションとは違い、様々な奇抜なデザインは、いくらお金をかけても投資回収可能という欲望の街を象徴していた。建築の面白さに感嘆すると同時に、お金が全ていう経済原理やイデオロギーは常にインフレ成長しつづけ、人種の坩堝の多様性は格差を産み、金持ちがまた新たな建築を作っていく都市を目の当たりにした。
一方でアジスアベバのメルカートという野外市場に行った。ここは現地の人に案内された、命以外はなんでも揃うという場所だ。世界中から集まった(ゴミのようにしか見えない)廃品巨大市場は、想像を絶する光景と匂いと埃だった。RCから解体された鉄筋や鉄屑、アルミ、銅、電線、日本製の工作機械(これらも販売している)でドラム缶を切り、溶接して鍋を作り、世界の人が使った大量のスニーカーの山は売るために洗濯をしている。コンピューターから、使い古された服やベルト、プラスチック容器、ゴム、木片、トタン、食べ残し、なんでもあるが新品は殆どない。世界の大量消費の行き着く先がここにある。エチオピアの人々がその場で廃品から器用になんでも新たなに物を作る姿はある意味究極のサーキュラーエコノミーとも言える。しかし私たちのモノが豊かさの象徴であるイデオロギーはメルカートでは別解釈されて新たな価値やエネルギーそのものとして存在している。そういえば人類が発見するエネルギーという魔法の小槌も、産業革命以降何度も環境を壊してきた。夢の石炭は大気汚染を産み、石油から生まれたナイロンは海洋プラスチックやCO2を産み、原子力は核汚染を産んだ。夢の資源の発見は常に環境破壊を生んできた。
地球規模の環境変化は、増加した人間の欲求を満たすために生きている結果である。人間が動物から進化した時から(動物と変わりないかもしれないが)実は何も変わっていない。新しい環境資源であり、新たなイデオロギーである生成AIが10年後には人間の10倍の知能を持ったとき、そして経済原理や成長原理、生産方法の最適化を人間に代わって判断する社会が生まれたときに、未来は良い方向に変わっていくかもしれないし、建築の終わりを生む結果にもなるかもしれない。彼ら(A I)にとって人間が猿以下に見える風景の中で、その人類が創り出す建築をどう判断するのだろう。人類の進化の過程において次の成長ができるのだろうか?本当の意味で、人間そのものと建築のあり方、環境の意味を考え直さないといけない。そんな支離滅裂なことを考えたニューヨークとアジスアベバだった。
環境建築賞の募集は7月3日から開始し8月30日に締め切られた。23点の応募があり、9月15日に一次審査が行われた。一次審査の結果9作品が選ばれ、現地審査を行った。
応募作品は、改修、素材、戸建て、集合住宅から、再開発まで多岐に渡った。特に木材への有効利用のアプローチが増えた。現地審査対象を選定する際においても、プログラムや木材への取り組みという意味では同じだが、プロジェクト毎に違う視座や技術が結果として多様性を生み、全面展開的で緻密な建築を選ぶことが難しいと感じさせられる結果となった。
公開2次審査もまた、今までで一番難しいと感じた。それぞれの取り組みが多様でありながらも、想像以上の深度と解像度で検討されており、簡単に環境という言葉では評価できない、環境という言葉を再解釈しないといけないプロジェクトが多かった。審査する側が応募書類の紙面だけでは理解できず、全体像を掴み切れないという感覚もあった。「私」による一点突破、全面展開的なコンセプチャルな概念を提示するというより、丁寧にクライアントや生産者から話を聞き、愚直に課題と向き合い、全方向から作っていくことによってのみ、環境建築は出来上がっていくのだ、と強く感じた。環境建築とは「私たち」の建築なのだ。「私」から「私たち」へ拡張された場や建築のデザインは社会を作っていく可能性に満ち溢れている。
そのような中、審査員のキャラクターや思想もさまざまであったことが、とても良かったと思っている。様々な視点をもち、各作品の一つ一つの深みと解像度を理解しようとする努力と議論ができたのではないかと思う。そして審査の限界というだけでなく、建築家が環境という言葉において考えうる方向性や答えも様々に変化している結果だと思う。それはそれでいいことである。
第4回目のJIA環境大賞は「神山町・大埜地の集合住宅」が受賞した。この建築群は新たな社会資本と暮らし方を提案している。衰退する地方において、持続的に住み続けられる住まいを作りたいと考えた設計者、行政、公社、施工者、地域の人々により、長い時間を掛けてこの場が作られた。建築家はもちろんのこと、神山つなぐ公社の存在や、ランドスケープアーキテクトの存在も大きい。この場所において、大工さん、どんぐり、鮎喰川、子供達、今、神山町にある当たり前のものが繋がるだけで、それらがむしろ当たり前だった風景の素晴らしさとして再認識された。地元出身者だけでなく、移り住んできた人、老若男女がつながっていくことで完成される。人と人が繋がるきっかけや歓びの循環を作っていける人をつくること。ここからデザインされたことが素晴らしいし、一過性になって欲しくないと思う。「私たち」によって作られた関係性は今後熟成して、100年後にこの場所がどう変化していくかによって、真に評価されるであろう。
優秀作品として、GOOD CYCLE BUILDING001浅沼組名古屋支店改修PJと、森と人の輪立田山憩いの森・お祭り広場公衆トイレ、あざみ野の土、ミュージアムタワー京橋が選ばれた。GOOD CYCLE BUILDING001浅沼組名古屋支店改修PJは中規模のストックを最大限活かすため取り組んだ意欲的な改修建築である。新築に比べて大幅なライフサイクルカーボンの低減はもちろん、アップサイクルや、環境負荷低減のデータエビデンス、きめ細やかなデザインと施工が随所に見られると評価された。と同時に私自身の最大の評価はファサードであり、豊かな緑と外部空間によって都市景観を作ったことである。こんなことは普通できない。
森と人の輪立田山憩いの森・お祭り広場公衆トイレは、小さなプロジェクトであっても、そのささやかな庇のデザインによって、豊かな人間環境が生まれる可能性を提示できている。そして木材を決して無駄にしないさまざまな創意工夫によって、豊かな森の中に溶け込んでいる。設計者の強い意思により、組織設計事務所という枠と制度を超えて、小さい活動で作り上げていこうとする姿勢が評価された。この若い建築家は全てを超えてこれからも頑張ってほしい。
あざみ野の土は、土から生まれる湿度感と空気感が独特であり、全身体で心地よいというのが現地審査を行った審査員の一致した意見であった。素材である土が新たな建材としての可能性を感じさせた。そして、土は昔から使われる建材だが、生産と施工の方法を考えることで、可能性を広げている。それら実験的な取り組みが環境性能の価値を創り出すきっかけにもなり得るとして評価された。土は無限大の可能性があることを気がつかせてくれた。
大規模再開発であるミュージアムタワー京橋は、再開発の一つの到達点でもある。理想を掲げても、巨大悪や経済性優先による薄く均質な建築や運用デザインの未熟さ、縦割りのプロセスによって批判的に語られるプロジェクトが多い中、この作品には小さな住宅建築のような濃密な思想とディテールと感動が繰り広げられている。手法と作法は目新しいということではないが、街とアートと人と環境を繋げるために、時間と巨大組織体の中で格闘しながら、設計者という「私」という個性が、長い時間を経て「私たち」になって、そして最後にまた設計者の「私」にのしかかってくる。それらをやりきり統合させていった、その凄みと深さが評価された。今後の再開発のあり方がこのプロジェクトを境に変わっていくだろう。
私にとっては今年が最後の審査であり、数年を通しても劇的に環境建築の考え方や変化が激しく、ついていくのがやっとだったと思う。それは、環境という意味の拡張もそうだが、一つの環境建築が建築家によって見出されると同時に都市に内在化されていくからである。内在化のプロセスが正しいのか正しくないのかわからないまま、建築はその土地に存在し続ける。そして何が上位概念なのか、それをAIと人間のどちらが先に判断するかによって未来は変わる。私たちがイニシアチブを取るために、猿になる前に進化しないといけない。経済優先(A I)か環境優先(命)か早く覚悟を決められるかどうかである。
小堀哲夫